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エンタメのひろば 70
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スタン・ハンセン
ラリアットの元祖。
猪木(NWF)と馬場(PWF)の両トップから団体の看板タイトルを奪取した功績が光る。
ハンセン独特の雄叫びの発音が「ウィー!」ではなく「Youth(ユース=青春、若さ)」だったとの本人談は、古くからのファンに軽く衝撃を与えた。
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>>387
侍ジャパンに選ばれ、刀でポーズを決めていた。🥷
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龍の背
外国人には当たり外れがある。
だが、それ以前に補強しないまま開幕を迎え、案の定、得点力不足に泣く中日を見て、僕に舌打ちせずにはいられなかったのだろう。
岡田監督は中日の潜在能力を買っている。
そして立浪監督とは野球観も似通っている。
僕がそう思うのは、30年前のふとした言葉を覚えているからだ。
「こんなんしてたら、また弱くなるぞ。そらそうよ…」
1992年。
阪神はあと一歩で優勝こそ逃したが、同率2位。
長年の低迷期を脱したと誰もが信じた。
(・_・)
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『眼には眼を』
清水節
あれは中学2年の三学期のこと。
往年の名作を観るには名画座へ足を運ぶか、地上波でかかる吹替版をリアルタイムで観るか、という選択肢くらいしかなかった時代。
東京12チャンネルには随分とお世話になった。
この年の12チャンは、木曜21時〜、金曜22時〜、土曜22時〜の毎週3夜連続でプライムタイムに映画を編成していた。
思春期に貪るように観まくった作品の中でも、映画的感動を超えて後々まで尾を引くことになった問題の絶望シネマといえば、1977年2月11日金曜の12チャン「想い出の名作洋画劇場」で放送されたアンドレ・カイヤット監督作品「眼には眼を」である。
(・_・)
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中スポ
センバツ高校野球
清原ジュニア(慶応)出場
(・_・)
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中スポ
センバツ高校野球
東海大菅生 元ドラ 若林監督体罰解任
(・_・)
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ドラHOT
ボイメン久々出演
(・_・) 他メンバーの万引き事件が影響していたか
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高橋周平
忘れられないのは昨季開幕数日前。
左足首を捻挫した。
外出先からの帰り道。
階段を踏み外して、ひねった。
「何とかならないかと思いました」
ビニール袋に冷凍庫の氷を放り込む。
冷やして歩いてみる。
「もうちょっと冷やさないと駄目かな」。
アイシングを繰り返すうちに、ただごとじゃないと分かった。
腫れは引くどころか増した。
夜通し冷やす行為、歩いてみる、の繰り返し。
太陽が出て観念した。
球団に連絡、開幕アウトは決まった。
(・_・)
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武藤敬司
武藤が優勝したG1の裏側で新日本プロレスは、北朝鮮の負債を返済する計画を進めていた。
莫大な借金を帳消しにする手段は、興業会社である以上、破格の利益を生み出すイベントを打つ以外に方法はなかった。
条件は、誰も考えもつかないビッグサプライズだ。
編み出したプランが「UWFインターナショナル」との全面対抗戦だった。
1991年1月に3派に分裂したUWFの中で高田延彦をエースに据えたUWFインターナショナルは、アントニオ猪木が掲げた「プロレスこそ最強」を標榜するポリシーを打ち出していた。
旗揚げ当初こそ観客動員は順調だったが、分裂した3派の中で最も選手数を多く抱えていたため、選手のギャラなどの人件費が、徐々に経営を圧迫していく。
注目を集めるために刺激的な話題を提供する手段に出る。
(・_・)
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眼には眼を
主要人物はふたり。
フランス人医師ヴァルテルとアラブ人ボルタク。
舞台は中東シリア。
手術を終えたヴァルテルは疲れていた。
勤務時間外は一切仕事をしない合理主義者である彼の振る舞いは、どこか居丈高だ。
その夜は雨になった。
自宅に寝室で、ヴァルテルがクラシック音楽を聴きながらグラスを傾けていると、窓外で車が停まる。
見知らぬ男が降り、門衛に腹痛の妻を打つ診てほしいと請う。
彼がボルタクだ。
ヴァルテルは門衛を介して告げる。
「もう寝るところだ。ここでは何もできない。車で20分ほど行けば病院がある」
すべてはこの言動から始まる。
(・_・)
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🐉ラストチャンスの男たち
福田、福谷、直倫、田島、周平、岩ア、
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