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エンタメのひろば 70
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スタン・ハンセン
ラリアットの元祖。
猪木(NWF)と馬場(PWF)の両トップから団体の看板タイトルを奪取した功績が光る。
ハンセン独特の雄叫びの発音が「ウィー!」ではなく「Youth(ユース=青春、若さ)」だったとの本人談は、古くからのファンに軽く衝撃を与えた。
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ターザン山本
◆だから朝の食事をして別れるときは抱き合うけど、夜に泊まるっていうのは完全にやめた。
■でも夜も泊まったほうがいいですよ。
話を聞いていると、そんなことでふたりの仲は変わんないですよ。
◆万が一ね、泊まることになったときも、俺は「今日はセックスなしよ」って言うんよ。
■でも、まだ一度もないんですよね。
◆あっ、だってそもそも俺は不能だからできないじゃないですか。
■じゃあ「セックスなしよ」って言う必要もないじゃないですか。
そこはお茶目で言うんですか?
◆いやいや、そこはいろんな方法があるじゃないですか。
■靴べらを使って?
◆靴べらじゃなくても、ほかにいろんな方法があるんですよ。
■いろんな方法って、ちょっとボクにはわかんないですよ。
なんですか?
(・_・)
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うし
《靴べら》
を使う方法があるそうだぞ❗️
↓
>>290
(笑)
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山ア武司はタワケだね。
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靴べらを使う方法
↑要説明
(。・ω・。) SMかの?
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アブノーマルなら様々なバリエーションありそうやし
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なんでも鑑定団
「燃える闘魂」
アントニオ猪木書
(・_・) 50万円
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NHK『大奥』
冨永愛
(・_・) 赤面疱瘡グロい
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▪️反ファスト
映画館で見て、思いにふけるかふけらないかは勝手だが、それが「映画」だ。ふける時間も味わう余裕もない、そんな人間は元から映画館に来ない。映画館の至福を知らないほど不幸なことはない。手のひら大やパソコンでいい加減見してると、審美眼も育つわけがないのだ。
タイムパフォーマンスなど考えるほどバカらしい人生はない。コスパも同様だ。新幹線のスピードが上がり所要時間が縮まって便利になったというが、大間違いだ。それは、途中の田舎の景色が記憶に残らなくなることだ。旅の味などあったもんじゃない。
生産性や効率化だけの価値観、ファストライフはますます人の思考を劣化させている。
クズかマトモかだけで分けられてしまう、このドツボな社会を見れば、一目瞭然だ。そして、映画同志たちよ、怠け者を2時間釘付けにさせるものを作ってくれ。ネット世界に「恐れ入りました」と言わせるものを。
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長州力
73年12月6日、吉田光雄は新日本プロレス入団記者会見を行った。
猪木も同席した華々しい会見だったが、入団後“プロの水”にはなかなか馴染むことができなかった。
「長州さんは職業としてプロレスを選んだだけで、もともとファンではないし、アマレスを愛している人ですから、どちらかと言えばプロレス2嫌悪感があったと思います。また、他の先輩レスラーも特別扱いの新人が面白くなかった。五輪の韓国代表に続き、新日本でも“よそ者”扱いだったんです」
デビュー戦は、74年8月8日。
日大講堂でギリシャ人のエル・グレコと対戦し、“プロレスの神様”カール・ゴッチ直伝という触れ込みの新技、サソリ固めでギブアップ勝ち。
プロレス初戦をそつなくこなしたが、この前年、アメリカ修行を経て鮮烈な日本デビューを果たしたジャンボ鶴田と比べると、地味で無難なデビュー戦だった。
この地味なイメージは、その後、吉田に何年もまとわりつくこととなる。
(・_・)
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ハマショー
75年に「二人の夏」でレコードデビューを果たすが、この曲はビーチ・ボーイズの「サマー・ガール」をイメージした楽曲だった。
だがヒットせず、浜田は75年9月にバンドを脱退、76年4月に「路地裏の少年」でソロ・デビューを果たした。
もともと浜田はビートルズ、ビーチ・ボーイズ、ヤング・ラスカルズ、あるいはモータウンなどを好んで聞く洋楽ロック好き少年だった。
一方、ボブ・ディランに強い影響を受け、ファーストアルバム「生まれたところを遠く離れて」にはディランからのダイレクトな影響が見て取れる。
(・_・)
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