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エンタメのひろば 70
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スタン・ハンセン
ラリアットの元祖。
猪木(NWF)と馬場(PWF)の両トップから団体の看板タイトルを奪取した功績が光る。
ハンセン独特の雄叫びの発音が「ウィー!」ではなく「Youth(ユース=青春、若さ)」だったとの本人談は、古くからのファンに軽く衝撃を与えた。
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■そんな彼女の目の前に突然現れた、謎の不能者。
ターザン山本
◆だから逆に言うと…クンニですよ。
■なんの逆。
◆いまの俺はクンニ帝王ですよ。
■クンニに活路を見出だしたわけですよね。
◆もうね、俺がクンニしたらもの凄く興奮するんだから。
お城を攻めるときと同じで、まずは外堀から攻めるんですよ。
直接的にクリトリスにいくんじゃなくて、その周辺をじわーっと、じわーっと下からゆっくり登りつめるようにして舐めるんですよ。
そうして舐めていくとね、相手は早く天守閣に来てほしいという形になるわけ。
■早く天守閣に来てほしいという形に(笑)
◆逆に。
■逆に?
(・_・)
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>>316
見逃すところでした。24日の再放送は必ず観ます
コロナ前と、コロナが落ちついた時期のツアーには行きました
危なく見逃すところでした。教えてもらえて助かりました
ロズウェルさん、ありがとうございます
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(・_・ )ノノ
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一茂出川ホラン フシギの会
持つと重さの変わる石
(・_・) ただの暗示だった
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金スマ
中居正広
(・_・) 死んだと思った?ギャグ
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長州カ
半年間のメキシコ遠征でUWA世界ヘビー級のベルトを獲得した長州は帰国後、82年10月8日後楽園での試合中に味方の藤波に対し半旗を翻し、「なんで俺がいつまでもお前の下なんだ。俺はお前のかませ犬じゃないぞ!」と宣戦布告を行った。
不遇の時代が長かったからこそ、長州の叫びは真に迫っており、その結果、多くの人々の共感を呼び、一躍「維新の志士」としてまさかの大ブレイクを果たすのである。
「あれは猪木さんが焚き付けたと言われていますよね。長州さん本人もハッキリとは言わないまでも、それは肯定していました。そして自分自身は変わっていないのに、あのアクションひとつで世界がガラリと変わった長州さんは、ついにプロレスに目覚めるんです」
(・_・)
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田家秀樹
「アイラブユー」はback numberの日常的なラブソングの傑作です。
公園を舞台に落ち葉が舞っていて、まず主人公は落ち葉に向かって「親切にどうも」と言っています。
その後、猫に不安を打ち明ける。
それでいて頭のなかは君に会いたいという気持ちでいっぱい。
日常の切り取り方がとてもうまいです。
駅前のパン屋が出てきますが、踏切があるということは東京というよりは、清水さんの地元の群馬県の街の情景が浮かびました。
地方出身者の若者の日常性のなかで「君に会いたい」という気持ちでいっぱいになっている切実さをすごく丁寧に描いています。
(・_・)
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蝶野正洋
武藤、橋本らとともに、90年代の新日本プロレスを支えた蝶野正洋は、かつて猪木の付き人だった。
猪木は、言葉で指導をするのではなく、行動で示すタイプの人間だった。
それは自らの師匠であった力道山と同じである。
団体経営者であった猪木は、常にチケットを販売するための営業という仕事がついて回った。
蝶野は付き人時代、並み居る大企業の経営者やスポンサー筋と交流する猪木の姿を見続けてきたが、スーツ姿の猪木が動くことで、数千万円の売上につながる現実を目の当たりにしたとき、猪木の代役は誰にもつとまらないことを実感したという。
(・_・)
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ジュリーがいた
沢田は毎年制作してきたアルバムを09年からミニアルバムへとサイズダウンさせていた。
12年3月11日に発表した「3月8日の雲」は、自身が作詞した4曲が入って、すべてが東日本大震災をテーマにした楽曲。
死者への哀悼や反原発の曲が並んだ。
沢田のコンサート会場では、ロビーで脱原発を求める署名活動が行われるようになる。
ステージから署名を呼びかけることはなく、スターの態度は終始一貫して「みなさんのお好きに」で、ファンに強いることはない。
武道館などそうした活動が許されない場所も少なくなかったが、政治的な発言をするにあたってスポンサーを諦めたこともある。
(・_・)
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