461 運用開始当初から、推進軸折損の故障が頻発。これは後に克服したものの、今度は液体変速機や冷却ファンの故障など、走り装置の不具合が顕著になっていった。しかし、走り装置は西ドイツのメーカーのライセンス生産品のため、配属先では勝手に修理することができず、日本国内のメーカー担当者が常駐する工場(鷹取工場がそれだった)に持ち込むしかなく、修理には時間がかかった。また大規模な修理の際は本国への問い合わせが不可避となるが、これに対する回答を得るのにも時間がかかり、やはり迅速な修理を困難にした。さらに、根本的な問題として、走り装置そのものが精密に出来過ぎているため、メンテナンスに手間がかかり過ぎた。加えて、当時の特有な事情として「労使関係の悪化」という不幸な要因もあり、メンテナンスに手間がかかるDD54のような車両の配属は、労働組合の抵抗に遭うという問題もあった。 ロド2021/05/04 20:331hRxI7CN54Qr7
467 ちなみに>>461の写真 動力方式移行時には試作機関車の性能確認や乗務員の慣熟訓練の為に営業列車で蒸気機関車とディーゼル機関車を重連で走行させるコトがあったが、これは慣熟訓練時の写真ではない (それが証拠にDD54は量産型の13号機) 先述の通りDD54の性能が不安定で運用に支障をきたしていた為、本来DD54に置き換えられて廃車とするべき蒸気機関車を緊急時の補機として重連で運行していた ロド2021/05/04 20:54hRxI7CN54Qr7