460 と、この様に日本国有鉄道で"54"をつけられた車両は短命で影が薄く、鐵の間では《54の呪い》と言われているのだが、きわめつけはこれ、DD54形ディーゼル機関車 亜幹線の無煙化を推進するため、昭和41年から3両の試作機含め合計40両が製造され山陰地区に集中的に投入された。 特徴は、当時の国産本線機DD51とは異なる箱型車体の外観もそうだが、エンジン·変速機といった走り装置に、西ドイツのメーカーからライセンス供与を受けて製作されたものを搭載したこと。 ロド2021/05/04 20:32hRxI7CN54Qr7