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キュウちゃんと語ろう386
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日本の中央は青森だ〜(笑)
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>>426
バンクシーのユニオンジャックをモチーフにした絵→国旗・侮辱→IKEAの記事→アップ
いかにも絵に描いたようなググル脳だなぁー。
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と、この様に日本国有鉄道で"54"をつけられた車両は短命で影が薄く、鐵の間では《54の呪い》と言われているのだが、きわめつけはこれ、DD54形ディーゼル機関車
亜幹線の無煙化を推進するため、昭和41年から3両の試作機含め合計40両が製造され山陰地区に集中的に投入された。
特徴は、当時の国産本線機DD51とは異なる箱型車体の外観もそうだが、エンジン·変速機といった走り装置に、西ドイツのメーカーからライセンス供与を受けて製作されたものを搭載したこと。
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運用開始当初から、推進軸折損の故障が頻発。これは後に克服したものの、今度は液体変速機や冷却ファンの故障など、走り装置の不具合が顕著になっていった。しかし、走り装置は西ドイツのメーカーのライセンス生産品のため、配属先では勝手に修理することができず、日本国内のメーカー担当者が常駐する工場(鷹取工場がそれだった)に持ち込むしかなく、修理には時間がかかった。また大規模な修理の際は本国への問い合わせが不可避となるが、これに対する回答を得るのにも時間がかかり、やはり迅速な修理を困難にした。さらに、根本的な問題として、走り装置そのものが精密に出来過ぎているため、メンテナンスに手間がかかり過ぎた。加えて、当時の特有な事情として「労使関係の悪化」という不幸な要因もあり、メンテナンスに手間がかかるDD54のような車両の配属は、労働組合の抵抗に遭うという問題もあった。
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このような状況下、国鉄当局も淘汰は不可避と断じ、早くも昭和51(1976)年から淘汰が開始され、その2年後には全機退役した。
運用開始から10年前後、早いものでは僅か4年というごく短期間での退役は、赤字国鉄の無駄遣いの象徴として、後に国会でも取り上げられ、会計検査院も問題視するに至った。
この日本離れしたヨーロピアンスタイルの車体、好きなんだけどねえ
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ググル脳が炸裂しとるwww
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秋田県、やばすぎるだろ。
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秋田県はもはや現代の日本人が暮らすのには値しない土地という事か。
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ちなみに
>>461の写真
動力方式移行時には試作機関車の性能確認や乗務員の慣熟訓練の為に営業列車で蒸気機関車とディーゼル機関車を重連で走行させるコトがあったが、これは慣熟訓練時の写真ではない
(それが証拠にDD54は量産型の13号機)
先述の通りDD54の性能が不安定で運用に支障をきたしていた為、本来DD54に置き換えられて廃車とするべき蒸気機関車を緊急時の補機として重連で運行していた
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まぁ、秋田県民には悪いが、確かにわざわざ行きたくないし住みたくはないか。秋田の米は美味いが。
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