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キュウちゃんと語ろう386
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日本の中央は青森だ〜(笑)
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そもそも論だが、貴重な美術品や展示したい美術品や人が是非見たいという美術品を数多く所有してる人や団体が美術館を創るってのが本来の美術館の姿やん。
立派な美術館を作りましょう。で展示品はどうしましょう、海外の有名美術館にお金を払って借りましょうとか、税金投入したり、寄付を募って有名美術品を買うましょうだったら本末転倒だと思われ。
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>>448
熱湯かけてサム分したら食べられるんじゃない😀?
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>>437
ロド風に言えば、
さんざん人のやりとりを見たりググったりしてからの後出しジャンケンだな。笑
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国鉄C54形蒸気機関車
昭和6年に17両だけ作られた。その3年前まで量産されていたC51の後継機となることを見込み、線路規格の低い亜幹線でも運用が可能なように設計されたが、使い勝手が悪かったようである(軸重が軽く空転しやすかった)。そのためか早々に増備が打ち切られ、その後の同じ用途の機関車の増備はC55、さらにC57に移行している。
少数形式であったためか退役も早く、「SLブーム」が本格化するはるか以前の昭和38年までに全機退役してしまった。保存機は1両もない。
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国鉄ED54形電気機関車
大正15年にスイスからわずか2両輸入された。
特徴的だったのは
「ブフリ式」
という、吊り掛けでもカルダンでもない、極めて珍しい駆動方式を採用していたこと。
そのため運転は極めてスムーズだったらしいが、やはりスイス製ということか、機器が精密を極め、当時の国鉄技術者の能力では、保守が大変だったということである。
退役は終戦間もない昭和23年のことで、就役から僅か22年後のことだった。
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国鉄EF54形電気機関車
初の国産大型機EF52の、昭和6年に落成・就役した最後の2両について、翌年に形式変更したもの。
これは歯数比を変えて高速性能を向上させたもので、後のEF53につながるものとなっている。
ただし2両だけの超小所帯だったため、使い勝手は良くなかったようで、戦時中の貨物需要の増大を機に、昭和19〜20年にかけて、歯数比を変更して貨物用に変更、EF14と形式変更している。そのため、EF54としては僅か13年で形式消滅してしまった。
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>>436
パフォーマーと俺がだいぶ前に言ってるわな。
ただロドのように断言はしないが。
写楽が描いた浮世絵かて、現代では美術館に展示されるような絵画だが、描かれた当時は人気歌舞伎役者を描いたポスターの扱いだったらしいしな。
芸術家というか、今で言うなら電通から発注をもらい人気アーティストのスチール写真を撮ったカメラマンくらいのポジションってか。
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>>448
MOMA→アンディ・ウォーホール
→空き缶→パスタ缶の記事→アップ
という絵に描いたようなググル脳の持ち主やなー、笑。
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