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キュウちゃんと語ろう468
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くしゃみ鼻水がとまりまてん૮(꒦ິཅ꒦ິ)ა
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>>289
ドルビーとIMAX
どっちがいいんやろ?
291
>>290
ドルーピーとベイマックス、どっちがいいかッて?
どっちでも好きな方観たらええ😀
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>>290
ッてか、DolbyでもIMAXでもない盛岡中劇でしか上映してない岩手県民へのアテツケか😀
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ということで、IMAXが「映像・音響・空間・作品」という様々な要素をバランスよく底上げしたシステムであるのに対し、dolby atmosはひたすら「音響」に重きを置いた仕様というわけです。
らしい。
やっぱ音重視ならドルビーか
でも、デビットボウイなら映像も捨てがたいな
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俺がIMAXの担当だったら、「RRR」と「シン仮面ライダー」の二本立てにするかな。
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女子に嫌われるクルマといったら小型のオープンカー🚘
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▪️作り手の「願望や怨念」がオリジナルの圧倒的強さ
庵野監督は2001年のインタビューでこんな発言をしている。
「最初のころ作られていた怪獣なり巨大ヒーローってのは(中略)作り手にとって、怪獣はいない、宇宙人もいないっていうのを前提に作ってる」「作ってる人たちのメタファー(暗喩)というか、願望や怨念みたいなものが、怪獣なり巨大なヒーローなりに託されていると思います。そこがオリジナルの圧倒的な強さだと思います」
庵野監督が言わんとしているのは、「まったくの絵空事である怪獣や特撮ヒーローが強い訴求力を持つには、一般の映像作品以上に、その時々の現実と生々しい接点を持ち、人々が抱いている『願望や怨念』を映し出す必要がある」という逆説だ。
庵野監督は「シン・仮面ライダー」を制作するに当たって、「仮面ライダー」の物語の根源にあった「当時の作り手たちの願望や怨念」をどのように把握し、それを現代的な文脈で表現しようとしたのか。
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1971年4月3日に放送が始まった「仮面ライダー」の制作準備は、その約2年前から始まった。70年秋には「十字仮面(クロスファイヤー)」というタイトルで企画はほぼ固まり、11月上旬には企画書も制作された。石ノ森章太郎の描いたヒーロー・クロスファイヤーのデザイン画は、白いマスクに赤いバイザーのついた洗練されたもので好評だったという。
しかし石ノ森はクランクインが目前となった71年1月、「クロスファイヤーのデザインにズキンと来るものがないので変更したい」と自ら申し出、約1年前に発表した読み切り作品「スカルマン」をベースに、ドクロをモチーフとするグロテスクなデザイン画を新たに描き起こした。
テレビ局側の「食事の時間帯の番組で骸骨は困る」という意向でこのデザインは却下。バッタをモチーフとしたデザイン画を経て、ようやく決定に至った。仮面ライダーのマスクはバッタにしては異様に目が大きく、全体の印象はバッタよりもむしろドクロに近い。なぜ、石ノ森はデザインの変更を決意したのか。
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実は、石ノ森が「スカルマン」への変更を申し出る前に、ある事件が起きていた。70年11月25日、作家三島由紀夫が自衛隊市ケ谷駐屯地で割腹自殺したのだ。
石ノ森は当時、青年向け漫画雑誌で連載中だったSF漫画「時の狩人」の一回を、三島が死の直前に演説した「檄文」やマスコミや知識人らの反応で埋め尽くす。「どうしても三島事件を取り上げたかった」という熱い思いが伝わってくる。
石ノ森は多くの作品で社会問題を扱い、若い頃は記者や作家に憧れた。彼とって三島がまばゆい存在で、その死に巨大な衝撃を受けたことは疑いない。たとえ、子ども番組でも「クロスファイヤー」のような洗練されたヒーローでは、三島事件を経た日本社会では訴求力を持たない――石ノ森は半ば無意識にそれを直感し、死のイメージに直結する「ドクロ」に拘ったのではないか。
石ノ森がテレビ放映と同時期に雑誌連載した漫画版仮面ライダーも、テレビ版よりもはるかにペシミスティックで死の香りが漂う作品だった。エリートによる人類統制をもくろむ組織ショッカーに、無理やり肉体を改造された主人公は「いまのおれは人間であって人間でない」と強いコンプレックスを抱く。
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しかも、戦う相手は自らの生みの親でもあるショッカーと、兄弟とも言えるショッカーの改造人間=怪人たち。本郷は「俺の同類とよべる怪物たちはすべて敵になる運命になっている」「俺はこの広い世界にただひとり」と絶望する。
そして本郷=仮面ライダーの抵抗に業をにやしたショッカーは遂に、本郷と同じ能力を持つ「12人の仮面ライダー」を作りあげ刺客として差し向ける。「13人目の仮面ライダー」となった本郷は変身できないまま敵のライダーたちに囲まれ、ついには血まみれとなって殺されてしまうのだ。自らの属する巨大な組織や社会悪に1人叛旗を翻しても、しょせんは風車に向かうドン・キホーテのような無謀な試みであり、圧倒的な力の前に横死するしかない。石ノ森は「ヒーロー漫画」を描きつつも、「現実世界におけるヒーローの不可能性」を自ら暴いてしまったのだ。
それは「時代の気分」でもあった。「反帝国主義」を掲げた70年安保闘争は成果がないまま収束に向かい、「対米従属路線を堅持しつつ経済繁栄を目指す」という戦後の日本社会の方向性が確定しつつあった。「人々の連帯によって矛盾に満ちた世界を変革できる」という希望は急速にしぼんだ。
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