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キュウちゃんと語ろう 448
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チベット県は今日も雨
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偽ねいにゃんが出没している
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ヲマエみたいなヤツが日本にいると糞プーチンに
『日本にナチがいるノフ、ナチを排除しなければならないビッチ』
と侵略の口実与えるから、はよキエろや
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誰かが「ナチを排除しなくてはいけない」と言ってくるから消えろという論法が、ナチ(全体主義)の論法なんだが。
そのあたりが六郎が噛みついても盛り上がらない所以。
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ヲマエみたいなヤツがホスラブ東海にいると徳川家康に『本丸に侵略者がいる侵略者を排除しなければならない』
と物騒になる、はよキエろや
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■東大生は上流を見ることで本質に至る
例えば、ペリーが浦賀に来航した1853年という年を覚える場合、普通は語呂合わせを使ったり、何度も口に出してみたりするはずだ。
しかし、東大生は違います。
「1852年でも、1854年でもなく、なぜ1853年だったんだろうか?きっとそこには、理由があるはずだ」
というふうに「1853年だった理由」を探そうとするのです。
すると「1853年にペリーが来た」のは偶然ではなく、きちんと理由があることがわかります。
事実、1853年について調べてみると、ペリー来航の数カ月後に、ヨーロッパでクリミア戦争が起きていることがわかる。
当時、日本を開国させたいと思っていた国は少なくなかったはずだ。そして、そんな状況だからこそアメリカが、「ヨーロッパで緊張が高まっているいま(1853年)なら、他国に邪魔されずに日本を攻めることができるかもしれない」と考えたのではないかと推測することができるわけである。
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またアメリカは1848年まで、日本に近い西海岸に領土を持っておらず、西海岸に到達したのは1848年のことだった。西海岸にアメリカ人が雪崩れ込んだのは1849年からで、そのためいまでも西海岸・サンフランシスコのフットボールチームには「フォーティーナイナーズ(49ers)」という名がつけられている。
サンフランシスコの人たちが「この土地の歴史は1849年から始まった」ということを誇りに思っているからこそ、その名が浸透しているのである。そして、そこから数年かけて日本に開国を迫る準備をし、クリミア戦争でヨーロッパ人が手出しできない状況下で日本に訪れたと推測できるのだ。
このようにさまざまな要因が重なったからこそ、1853年にペリーが来航したと考えられるということで、これらの要因を理解しておけば、ペリー来航周辺に起きたことの根拠などを記憶しやすくなるわけだ。
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そりゃあ、丸暗記すれば、一瞬で終わります。「1853年! ペリー来航!」と口に出して、語呂合わせをつくって、紙に書いて覚えるのは簡単です。
でも、それはクローゼットの中にとりあえず服を突っ込んでいるのと同じなのです。それではいざというときに記憶の中から取り出すことはできず、すぐになくして(忘れて)しまうのです。
そうならないためには、「急がば回れ」の理論で、僕らはきちんと物事の「原因」を探さないといけないのです。
物事には、単純な「原因と結果」では説明がつかない「背景」が存在しているということである。なんにせよ、物事をより深く理解し、重要な情報を引き出す「要約」を行うためには、「背景」を知ることが重要なのだ。
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