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エンタメのひろば 63
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【インフィールドフライ】
無死、または1死1・2塁、または満塁の場面で、打者がフェアの打球を打ち上げたとき、普通のプレーを行えば内野手が捕球できる場合に審判によって適用される。
審判がインフィールドフライを宣告すれば、たとえ野手が落球したとしても、打者はアウトになる。
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落合博満
「自分を一番高く買ってくれる球団と契約したい」
かつてそう堂々と公言して物議を醸した大打者がいた。
ロッテ時代の落合博満である。
打率.360、50本塁打、116打点で前人未到の三度目の三冠王に輝いた昭和61年のオフ、尊敬する稲尾和久監督が去り、現役を引退したばかりの“ミスターロッテ”有藤道世が40歳の若さで監督に就任する。
その際の条件のひとつが、圧倒的な個人成績で年俸も高騰していた落合の放出だった。
要は存在が大きくなりすぎて青年監督には扱いづらいというわけだ。
当然、そういう会社の思惑は内側にいれば勘づく。
ああそうかい、出されるくらいなら、オレから出てやるさ。
落合は黙って組織にその身を委ねるようなタマじゃなかった。
(・_・)
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今日(もう昨日か)、甲子園でちょっと変わった投手交代があったようだな
説明すると長くなるから内容はリンクを読んでもらうとして
野球ッて、ホントやる方も観る方も頭使うスポーツだわな
https://news.yahoo.co.jp/articles/05e57fb45f32e34853a2efdcca4a0222cca98a41
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楽天、ファンモン加藤のミニライブが行われる時の試合、6連敗
加藤、まさに疫病神か😅?
球団スタッフからつけられた渾名が
《mop-up singer》
敗戦処理シンガー、だそうで
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🐮 これはラインクリシェかの?
この不穏なテンション使いがそれっぽいがググっても出て込んで違うか知れん
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落合博満
86年12月23日に、噂された巨人ではなく、こちらも若き星野仙一新監督が率いる中日へのトレードが決まる。
背番号は慣れ親しんだ「6」、新年俸は1億3000万円。
球界初の1億円プレイヤーが誕生した。
オレ流という劇薬でチームを活性化した星野は、就任2年目に中日をリーグ優勝に導き、三冠王を手放す悪手で打線が弱体化したロッテは球団初の2年連続最下位と低迷。
有藤はわずか3年でその座を追われることになる。
全盛期の落合には、多くの男たちの運命を変えてしまう力があった。
あなたはそんなオレ流・落合の現役最終年の打撃成績を知っているだろうか?
(・_・)
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巨人の前監督、高橋由伸監督時代、巨人の成績は2位、4位、3位であった。
順位だけ見れば決して悪い数字には見えないが、弱い弱いとマスコミやファンに叩かれ、3年契約を終えた。
そして原監督にバトンタッチして巨人は2年連続優勝、今年も2位につけている。
今季の巨人は投打とも強力な布陣が揃っている訳ではない。
エース菅野は離脱、正捕手もはっきりしない、丸も不調、抑えも決まっていない。それなのにそこそこ戦っているのはやはり采配で勝っているのであろう。
補強だけではなく、勝ちながら育成もしていく名将だ。
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監督次第でこうも変わるんか。
中日はガーバーがアルモンテくらい打っていたらかなり違った。
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ノリ、オレ流の思い出を語る
日本一の祝勝会での出来事として「ビールかけで、落合さんの所に後ろから乱入して行ったんです。バーッとかけた時に『おい誰だ?』ってなって、『ノリです。お疲れ様でした』って言ったら、落合さんはちっちゃい声で、『おっ。(MVP)おめでとう』と。それだけですよ、1年間で(笑)」落合監督から労いの言葉をかけられたのは、日本シリーズMVPをとった時だけでした。
「ホームランを打っても、落合さんだけではベンチ前のハイタッチに出てこないんですよ。星野監督も出てきて、野村監督も出てくる、原さんも出てくるのに、なんで出てこないのかなぁと思っていたら、落合さんは『当たり前だろ。オレが選んでるメンバーだ、打って当然だろ。何で改まって喜ぶの?』って。すげぇ…と思いましたね(笑)」と、いわゆる“オレ流”には驚く事ばかりだった。
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解説者 森野将彦
(・_・) レジェンド 立浪和義を上回る野球理論。
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『プロミシング・ヤング・ウーマン』
2020年/エメラルド・フェネル
山田ルキ子
以前、電車内で痴漢に遭った。
私は必死に犯人を追いかけ確保し警察に突き出したのだけど、それはとても後味の悪い記憶となった。
相手が14歳の少年の中学生だったため“幼気な少年が怖い女に追いかけられている”光景を周囲は見て、取調室で刑事は「少年の将来を守ると思って」と告訴しないよう勧め「そういうことに興味を持つ年頃だから」とまるで微笑ましいことであるかのような言い振りをした。
結局、医者だという母親とともに「確かにやりました。すみませんでした」と頭を下げられただけで終わった。
そこには“見ず知らずの男による性的接触で傷ついた女性”という視点は一切無く、ただ壊れそうな男の未来を皆でオロオロと心配しただけだった。
だから『プロミシング・ヤング・ウーマン』を観た時、あの悔しさと憤りが生々しく蘇ったのだ。
(・_・)
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