797 jacquiの言った事が全てを物語っている。 アメリカの市民感覚では、アメリカにはCDショップは無い。 そもそも音楽をCDで聴かないからCDショップの有無を考えたりする事もない。もはや頭の中にはCDショップは存在していない。 CDショップは無いのかと聴かれるのが不思議な事のようだ。 そりゃ下駄を履かなくなった日本人に対して、日本には下駄屋は無いのかと米国人に聞かれたら見な靴を履くから下駄屋など無いとなる。もしかしたら探せば日本のどこかに下駄屋はあるかもしれないが、我々無いと答えるだけろうよ。 匿名さん2021/03/20 22:452
805 >>797 ↑ 例えが甚だよろしくない 一般常識を持った日本人なら、多くの日本人が日常生活で下駄を履かなくとも、下駄の需要が細々とではあるかもしれないがまだあることは知っている 下駄屋がどこにあるかは知らずとも 《下駄屋は日本にはもうない》 などとは答えない 《あるはずだがどこにあるか私は知らない》 《どこかでは間違いなく売ってるはずだがそれがどこかは私は知らない》 と答える かように馬鹿な輩は、例え話が下手、不適切 あり得ない前提条件を立てる 《下駄専門じゃないなら下駄屋じゃない、靴や和服と一緒に下駄も売っているならそれはもう下駄屋じゃない》 なんてのは、ハッキリ言って"屁理屈" 匿名さん2021/03/21 00:482
841 >>797 《日本には下駄屋は無いのかと米国人に聞かれたら》 ⇒ 《今でも下駄はある、どこかには売ってると思うがどこで売ってる?》 との趣旨だわな それに対して 《下駄屋はない》と答えるだけでは甚だ不適切、だとゆ〜とる 《下駄だけを売ってる店はないかも、靴屋や着物屋や和装品店でなら売ってるかも》 が適切 >>811での 《年寄りが「無くなっちまった。」 で、若者は「知らない。」》 ⇒全然文脈が違うのな わかったか?アホ〜アホ〜アホちゃいまんねんパ〜でんねんへ(`∈´ )ヘ 匿名さん2021/03/21 11:10