000
エンタメのひろば36-4
+本文表示
今度も、わたし(@◎@)とオレ( - )が
320
『八甲田山』
1977年/森谷司郎
行軍隊は彷徨しながら、気がおかしくなる兵士が何人も出る狂気の様相を呈した。
映画公開後、流行語となった「天は我々を見放した」と中隊長が絶叫するのは、出発から3日目となる25日未明のことだった。
すでに多くが消息不明、あるいは力尽き絶命し、残された者も最後の力を振り絞って進もうにも、その進路がわからない状態だった。
その中隊長も田茂木野へ戻る途中で絶命した。
結局、5連隊210人のうち17人が捜索隊に救助されただけで、他はすべて死亡した。
救助された者たちも6名が治療もむなしく亡くなり。最終的に生き残ったのは11名だった。
その生存者にしても凍傷による四肢切断などで、五体満足だったのはわずか3名に過ぎなかった。
(・_・ )(・_・ )(・_・ )
321
第9ラウンド。
タイソンがロープに釘付けになった。
ドームが悲鳴に包まれた。これまでダウンを知らない男の足元がグラグラと揺れていた。
何とかゴングに救われたが、ただ数分間生き延びたに過ぎなかった。
この時、津江は確信した。タイソンが負ける。
そして、第10ラウンド。1分過ぎ、ダグラスがアッパーを突き上げる。
体の制御を失った王者の顔面に挑戦者の無情の拳が突き刺さる。
右、左、右、左。
タイソンはゆっくりとマットに倒れていった。
「ドォン!」
(・_・)
322
⭐(⭐_⭐)(⭐_⭐)⭐ 絶対王者の意識を飛ばす、ダグラスのアッパー
世界ランカーのパンチ、タイミングと角度はスーパーヘビー級
まともに当たればタンカーでも沈む
タイソンふらふら
323
あっ、どうも。
ヽ(ヽ・_・)(・_・)
324
>>320
-Ш-ノ やはり一度DVDで観とかなかんのぅ。
体力やビバークと防寒や通信器機、ルート読み取りなど課題は多いけど、
いずれ雪山もやりたいんや。
325
WBC
アメリカ上陸、あと2試合。
(・_・) 過去のWBCも、こんなあっけないスケジュールだっけ?
326
>>325
ですよね。(´・Д・)」
過去、アメリカ行ってからも勝ったり負けたりしてたような記憶が(´・Д・)」💦
327
>>326
あ〜そうそう。
わざわざアメリカまで行ってるのに韓国とばっかり対戦したりして。
・)(・_・ノ)ノ
328
エレファントカシマシ
「悲しみの果て」が発売されたのは96年。
さらにさかのぼった88年にエレカシはデビューした。
道のりは平たんではなく、現在のレコード会社は4社め。
5年前には宮本の左耳の疾病による休業もした。
紆余曲折を経て、デビュー記念日に全曲宮本セレクトのベスト盤、しかも全レーベルをまたいだ初のオールタイムベスト≠リリースする。
(・_・)
329
ロッキー
1975年3月24日、ボクシング・ヘビー級世界統一王者モハメド・アリは、最初の防衛戦をチャック・ウェップナーと戦った。
ウェップナーなんてボクサー、誰も聞いたことがなかった。
アリのマネージャー、ドン・キングが無名のウェップナーを指名したのは、宿敵ジョージ・フォアマンをKOして王座を奪回したアリの息抜き、骨休めのつもりだった。
ウェップナーは36歳。
ファイトマネーは1試合900ドル。
それでは食えないので酒のセールスマンをしている。頭はハゲて、生白い体にはしまりがない。
黒く精悍なアリと並ぶと、勝敗は誰の目にも明らか。キングが提示した10万ドルにつられた人間サンドバッグ、誰もがそう思った。
しかし、ウェップナーは心に決めていた。
「これはオレの人生にたった1度の晴れ舞台だ。決して倒れないぞ。たとえ殺されても」
(・_・)ノ
※このスレッドのコメントはこれ以上投稿できません。