000
エンタメのひろば 81
+本文表示
パリオリンピック
270
次回クラシックTV、ゲストは稲川淳二
怪談音楽か?
271
>>265
V-1は“ロケット”じゃないぞ
パルスジェットエンジンの無人飛行機(飛行爆弾)な
つまり、トマホーク等の巡航ミサイルの祖
“ロケット”は、V-2の方な
恥ずいからシッタカすんな、カタワ
272
>>265
“爆撃機ミステル”も、正確な言い方ではないな
爆撃機転用の
“無人飛行機(飛行爆弾)”
な
これもV-1とならんで(空対艦)巡航ミサイルの祖の一つ
わかったか?視野狭窄のシッタカカタワ野郎
273
>>265
ッてか
ロズの邪魔してんぢゃねえぞ、カタワ
274
吉田豪
「初婚ですよ」
(・_・)
275
>>272
半世紀以上前の天気予報技術なんぞが役にただないのと一緒だぞ
276
ドラ 出場選手登録
ドラ オルランド・カリステ登録抹消
(・_・) 上半身のコンディション不良。
怪しい
277
高田延彦 vs 北尾光司
92年10月23日 日本武道館
北尾は、元横綱として鳴り物入りで、90年2月に新日本プロレスの東京ドーム大会でデビューするが、わずか半年で、現場監督の長州力に対して民族差別的な暴言を吐いて解雇される。
その後、SWSに参戦するも、91年4月に神戸で行われたジョン・テンタ戦後、マイクで「この八百長野郎!」とまたしても暴言を連呼。
SWSにも契約を解除され、事実上のマット界追放状態にあった。
そんな問題児・北尾を、Uインターが外敵として迎え撃つことを表明すると、すさまじいばかりの反響が巻き起こった。
そして92年5月6日、横浜アリーナ大会で北尾はUインターに初参戦し、Uインターのナンバー2だった山崎一夫に圧勝。
次はいよいよ高田と北尾の一騎打ちとなった。
プロレス界の常識として、ナンバー2が星を譲ったあとは、当然団体のエースが勝利するシチュエーション。
実際、当初は時間無制限一本勝負で、高田が勝つはずだった。
(・_・)
278
>>275
無知無能で視野狭窄なカタワ無半値くん
『兵器の特性上、機密保持の観点から
「Flakzielgerät
”高射砲標的装置”
と呼ばれ』
【高射砲標的装着】
まさに、ドローン
『当時のドイツ人がドローン(≒無人飛行機)などと思っていた訳がない』
云々とホザいていたが
思ってたんだよ、当時のドイツ人も、V-1を無人飛行機(≒ドローン)だと
279
愛甲 猛
「33歳で中日に移籍して少しずつ出番も減っていく中で“このまま終わっていいのか?”といろいろ考えた結果、肉体改造を始めてみた。そしてこのとき、禁断のドーピングに手を出してしまったんです…」
当初はプロテインを摂取してからのウエイトトレーニングに打ち込んだ。
それでも、「もっともっと効果を」の思いが愛甲の胸の内に募っていく。
「野球で一生を棒に振るかもしれない。そんなことも考えたけど、オレには野球が第一だったし、“太く短く生きるのもオレらしいかな”という思いもあった。それで資料を読んだり、医者を訪ねたり、いろいろ薬物について調べました」
(・_・)
※このスレッドのコメントはこれ以上投稿できません。