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エンタメのひろば 79
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『君は天然色』 大滝詠一
机の端のポラロイド
写真に話しかけてたら
過ぎ去った過去
しゃくだけど 今よりまぶしい
(・_・)💡
001
地上波プロ野球中継
DeNA ✕ ドラ
横浜スタジアム
(・_・) 5月18日 CBC
002
世界サブカルチャー史
デヴィッド・ボウイ
(・_・)
003
DeNA 度会くん
登録抹消
(・_・) ドラ 立浪監督が見込んだ男。
大物 筒香さんの復帰でポジションがなくなる
004
ドラ ビシエド
2試合連続マルチ安打
(・_・) ドラ 石橋康太、一軍昇格も出番なし。
コレ
005
大滝詠一
■たとえば『ロンバケ』の永井博さんのイラストって完全にフィクションじゃないですか。
でも『EACH TIME』の河田さんのイラストってものすごく写実的。
歌詞も内省的で暗いし、ずーっとひとり語り。
「君は天然色」みたいな振り切りがない。
江口寿史
◆『ロンバケ』の何が衝撃的だったっていうと、大滝さんってずっと照れてたじゃないですか。
ベタなポップスをやることに対して。
■はいはい。
◆でも『ロンバケ』以前の作品でもノベルティぽい曲やふざけた曲のなかにハッとするようなポップな曲あったじゃない。
だけどそれはボーカルのレベルを極端に小さくしてたり。
■前からあるんですよね。
『ロンバケ』要素は。
◆そういう、たまにやる、うわって感じる音を聴く度に「これでアルバム全部やればいいのに」と思ってたの。
それを完璧にやってくれたのが『ロンバケ』って印象。
それが大ヒットしたわけだから「やったな大滝さん!」って思ってたわけ。
(・_・)
006
『エクソシスト』
日本を代表するホラー作家の平山夢明は、中学生だった頃に体験した『エクソシスト』上陸前の熱狂と興奮をこう振り返った。
この映画が本国アメリカで公開されたのが1973年12月、日本公開は半年以上後の74年7月。
待ちに待たされた平山少年は公開されるやいなや、川崎グランド劇場に朝一番でその正体を目撃せんと赴いた。
ところが、劇場の周りをすでに行列が取り囲み、席に着いたのは昼過ぎだったという。
「イラクで古代遺跡の発掘調査に参加していたメリン神父が、パズズの像を発見する冒頭から一気に引き込まれた。“これから何が起こるんだろう”って、ゾクゾクした」
それからは終始スクリーンに目がくぎづけだった。
(・)_(・)
007
添野義二
〜
この頃空手を学ぶ私の耳に「ムエタイ」という妙な名前の格闘技の噂が頻繁に入ってくるようになった。
極真会館の大先輩ともいえる中村忠先輩や藤平昭雄先輩、そして鬼の黒崎健時師範がムエタイの本場・タイに乗り込み、最も権威のあるルンピニースタジアムで勝利を収めたという話はすでに伝説になっていた。
1964年2月12日のできごとであり、私はまだ極真の門をくぐっていなかった。
だから、この偉大な先輩たちの活躍を実感としてとらえることができないでいた。
というより、それほどムエタイという格闘技が日本では未知の存在だったといえるかもしれない。
しかし事態は急激に変わった。
(・_・)
008
アントニオ猪木
寛子さんは、猪木が病気になったと聞いて「アメリカにおいでよ。オムツだって替えられるよ。ぜんぜん問題ないからね」と伝えたと、インタビューで話している。
しかし、猪木はその申し出に甘えることをしなかった。
独立独歩の気概で、人生を歩んできたアントニオ猪木は、子どもに迷惑などかけたくなかっただろう。
さらに猪木には、妻を弔うという仕事があったのだ。
つまり「なぜ猪木は最期まで人前に出続けたのか?」も何も、猪木には最期のときに甘えられる家族がいなかったのだ。
猪木が、もし私のような一般人なら、ひとりで死んでいくことも選べただろう。
しかし、英雄・アントニオ猪木が、そんな寂しい死を選べるはずもないのだ。
そんな当たり前のことを、私はやっと気づいたのだった。
(・_・)
009
テレビ塔 & ゴジラ
70周年記念
(・_・)🗼 コラボ
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