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キュウちゃんと語ろう474
😆
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あー、これならケツ拭くのにいいんじゃないか?
柔らかいし。
ただ、配管が詰まるのでケツを拭いたあと流すのはやめてくれたまえ。
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カッケェ…(//∇//)
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今年正月のテレビで、笑福亭鶴瓶がこう言っていた。
「東京の下手な芸人より、大阪のおもろい素人の方がよっぽどおもろいでっせ」
これは真実である。大阪人の私が言うのだから間違いない。しかし大阪の玄人芸人である鶴瓶が、以前に東京進出を企てて見事失敗したのもまた事実である。
「東京の人間は、しゃれのわからんしょもない奴っちゃ」と言ってしまえばそれまでだが、これがたとえば、鶴瓶がモンゴルで大阪弁でしゃべって受けなかったとしたらどうだろうか。
「そんなもん言葉が通じんし、民族が違うんやから当り前や」となって、「モンゴル人はしゃれがわからん」という人はあるまい。しかしモンゴル人と同じく鶴瓶の面白さを理解できない東京人は、はたして大阪人と同じ「民族」なのだろうか。
かつて上州人・中曽根康弘氏は「日本は単一民族国家」と発言して、日本列島に暮らすアイヌ人や朝鮮人を無視するものだ、と批判を浴びた。しかしこの時の批判は、日本人=単一日本民族を前提にするもので、単一国家観を批判する者はなかった。
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いやいや、ここでの問題は鶴瓶である。日本人が単一民族であるとすれば、我々大阪人が東京人に感じる違和感、東京で感じる居心地の悪さの原因はいったい何なのだろうか?
西日本と東日本の文化、民俗、社会制度などの違いについての個別研究は『東日本と西日本』に詳しいが、その原因を明確に示した研究はなかった。この違和感に明快な回答を与えてくれたのが、網野善彦氏の『東と西の語る日本の歴史』である。
この本によれば、鶴瓶の面白さのわからん東京人は、実は大阪人から見て、モンゴル人と同じ“異民族”だったのである。しかも西日本と東日本は、古代以来、対立と抗争を繰り返してきた別々の“国家”だというのだから、これでは「しゃれが通じんのは当り前や」
というわけで、以下この本の内容を紹介していきたい。
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この漫画オモロイ(^_^)v
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朝Mac🍔
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ねぇにゃんも書いてたけど、比内地鶏美味いよね〜。
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スレタイを変えような。
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おわりだよおわり。
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茶番。
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