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キュウちゃんと語ろう474
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😆
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>>505
昭和の終わり頃、CDレンタルからもカセットテープにダビングしとった
(。・ω・。) 当時、船橋に居って通勤電車内ではカセットテープのウォークマン、イヤホンでシャカシャカ🎵
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その頃デカいアナログレコードからコンパクトなディスクなって幻の名盤が次々と復刻版なって出回ったんや
(。・ω・。) 渋谷のタワーレコードやお茶の水神田橋辺りのマニアックなレコード店詣でがキュウ日のルーティーン
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MDが出てからは、写真家の誕生日には必ず私の好きな曲ばかり入れたMDをプレゼントしてた。2人して奥田民生にハマってたから写真家も気に入っていつも聞いてくれてた。
奥田民生と井上陽水のは特に最高だった。
人の息子『しかし頼まれたから言わせてもらうよ』神様から頼まれたんだ。
あんなに感性が合う人なんて後にも先にも現れないと思う。
出会ったばかりの頃、毎晩毎晩話が止まらなくて。いつも徹夜。そのうち話すことも落ち着いて眠れるようになるよ。なんて言いながら、最後別れるまでそんな日は来なかった。とにかく語りに語り合った。
だけど、どうしても恋愛感情を持てないんだ。美和子を愛せるスイッチがあればいいのに。
苦しそうに写真家は言った。それを言われた私は悲しみで心が完全に押し潰された。
人生いろいろね。
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恋愛感情は無くても二人でいろんなとこに行った。二人で旅してまわった。
私と同じくらいのぶっ飛んだ人だったから何しても楽しかった。憎み合うようになるまでは。私を愛してくれたならきっとずっと滅茶苦茶仲良く過ごせたと思う。
私はもう人に心は開かない。
誰かに分かってもらいたいと思わない。猫さえいればそれでいい。猫には何も言わなくても私を愛してくれるから。私も猫を心から愛してるから。
こんな幸せなことないよね。
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>>508
そっか。確かに昭和の終わり頃だったね。私は18歳になる前に車校に通ってた。いつものように車校に向かってる最中に昭和天皇崩御のニュースがラジオから流れた。岡村孝子を聞いてたのはちょうどその頃。
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私は名駅西にあったアピタの中のCDショップにいつも行ってたなぁ。大きいショップで無いものが無いくらい品揃えが良かった。あとヴィレヴァン。
いいのがたくさんあった。凄い気に入ってたのがあって、クラブミュージックなんだけど、それをガンガンに流して名古屋高速を何周も何周もまわってたなぁ。
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あぁ、眠たい。しんどい。
お母さんに昨日言われた。私は更年期障害なんかになってる暇なんて無かった。
更年期障害は暇人がなるのよ。って。
貴女はたぶん更年期障害よ。って。
悪気は無いんだろうけど、それともそれくらい自分がとんでもない苦労をしょってたってことを暗に言いたかっただけかもしれないけど。
もし更年期障害だとしても、女性の自殺は50前後が圧倒的に多い。更年期障害で苦しんで自殺してしまうんだ。
そんなことを笑いながら言う母親に貴女は思い遣りが無いと言われた。
もう私は母にも心を閉ざした。
フレンドとねぇにゃんと真田くん。
私の友人はその3人だけでいい。
幼馴染みは親友だけど心を開いたことは一度も無い。
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知らんがな
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あるとき写真家から電話が入った。
様子がおかしい。カッカッカッカッって変な呼吸をしていた。覚醒剤の量を多く打ち過ぎたんだってすぐ分かった。どこにいるの?って聞いても答えない。ただ、電話切らないでって懇願された。覚醒剤でおかしくなってもなかなか救急車は呼べないのよね。私は覚醒剤やりすぎておかしくなった子の世話を数えきれないくらいやった。救急車は呼べないからとにかく足をさすってと言われたらさすり続けたり。それでなんとかなってたけど、その時の写真家はもう迷わず救急車を呼ばなくちゃいけないレベルだというのは一目瞭然だった。写真家ももう自分が死ぬんだって分かってたみたいだった。もうそのうちカッカッカッカッって呼吸だけで話すことが出来なくなった。この人は私を愛していないのに、自分の最期に繋がる相手に私を選んだ。愛してはいないけど、私のことは彼にとって特別だったんだと思う。
今でもちょこちょこ電話してくるけど、美和子のマフラーを大切に部屋に飾ってるよ。とか言ってくる。マフラー?マフラーのことをよく覚えてないけど、あまりにも色んなことがありすぎて、特別な存在であるのはある意味当たり前なんだね。
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