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エンタメのひろば36-4
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今度も、わたし(@◎@)とオレ( - )が
020
『ガンディー』
えっ、ガンディー?
(・_・) いつから?
021
NHKにも実況あるんじゃないのか?
あえてフジテレビの実況を借りてきたのか
![emj](//img.hostlove.com/emoji/63993.gif)
(・_・ )
022
(・_・)(・_・ ) 武豊の将来を確実なものにした伝説のレース
タイムは有馬記念としては、遅いのだけど
オグリキャップというドラマチックな馬は、もう2度と現れないでしょう
023
あ〜伝説のレースでしたか。
観客の期待に応えた
ヽ(ヽ・_・)(・_・ )
024
猪木は35歳だった。
その年、猪木は11月7日から初のヨーロッパ遠征に出ていた。
新日本プロレスは『プレ日本選手権大会』を開催していたのに、前半戦、猪木はその日本でのシリーズには出場していない。
日本の試合を欠場しても猪木はその欧州遠征にかけたのだ。
珍しいことである。
日本では猪木抜きというエース不在のシリーズが行われていた事になる。
その猪木を欧州サーキットに招いたのが墓堀り人<{ックだった。
(・_・)
025
脱走未遂事件以来、力道山の大木に対する態度が少しずつ変わってきたという。
力道山のいる館長室に呼ばれる機会が多くなった。
韓国の食べ物を買いに行かせるためだった。
力道山は大木だけにそれを命じた。
大木は買ってきた韓国のキムチをこっそり手渡すと、力道山はひとりで館長室で食べた。
大木は「先生は日本人として振る舞っていたが母国のキムチは忘れられなかったのだ」と記している。
大木は力道山とどうにか1対1で話せる立場になったことで、練習に熱が入り試合運びに自信がついた。
ちょうどその時期、有望な練習生が続々と入門して大木のライバルとして台頭、前座試合で激しい出世争いを繰り広げる。
鈴木幸雄、後のマンモス鈴木(193センチ)、馬場(209センチ)、猪木(191センチ)の、いずれ劣らぬ大型選手ばかりだ。
( ・_・)(・_・ )
026
大宮スケートセンターで行われるUWFの旗揚げ戦まで、わずか1ヵ月に迫っていた。
UWFの営業部員たちは、旗揚げ戦の宣伝ポスターを大宮市周辺のあちこちに貼って回った。
じつに奇妙なポスターだった。
中央の大きな写真の主はレスラーではなく、マイクを握った新間寿なのだ。
「今、新しいプロレスが始まる 私は既に数十人のレスラーを確保した 新間寿復活宣言 私はプロレス界に万里の長城を築く」
( ・_・)ノ
![emj](//img.hostlove.com/emoji/63703.gif)
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σШ- キムイル大木金太郎は小兵やと思っとった。
かすかな記憶では回転エビ固めとかキーロックとかの小技も使ったからの、まーまーの体躯やったんやの。
去年亡くなったオヤジが
試合開始前に三菱電気の掃除機でリングを清掃する日本プロレスを観てたんや。
鉄の爪とか人間発電所とか、妖怪譚に近い記憶の底にある。
金太郎と鬼太郎が同じような
σШ- 脳の記憶の部分に(笑)
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'69年の少年サンデーのグラビアは
-Ш- むしろオヤジと共有できる数少ない記憶なんや。自我が目覚めてからはほとんど心を開かなかったからの。
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あ〜どうも。
ヽ(ヽ・_・)(・_・ )
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