088 しかしこの話はマツダの会議で議題となるや一蹴されます。ル・マンでの勝利の有用性が疑問視されると同時に、さらに会社の財政を圧迫するのではないかとちう危機感もあったようです。 匿名さん2014/06/25 22:05
090 そんな中で寺田さんは一人、プライベーターとしてル・マンに参戦しますが、結果は惨敗。全てがル・マンに於て駄目だったと語っています。翌年、翌々年も参戦し、徐々に完走に近づくものの毎回ル・マンというレースの結果としては惨敗としか言えない結果ばかりでした。 匿名さん2014/06/25 22:10
091 ある時、このレースを見ていたマツダ社内の数人が会社に意見書を出しル・マンに同行。寺田のプライベーターとしてのレース活動が限界な事を知ります。社内には寺田をサポートしロータリー車の性能をアピールすべきとの意見はあるものの結局ワークス体制は無く、マツダの1ディーラー内の部署であったマツダスポーツ相談室=マツダスピードが水面下で動くのみでした。 匿名さん2014/06/25 22:15
093 しかし、ついにマツダが動きます。社員からの熱い声援に加え、会社の経営状態が回復していた事から株主からもル・マン参戦が好意的に受け、社をあげてル・マン参戦が宣言されます。2年程ワークスマシンの開発に費やした後、ついに勝てるロータリーエンジンとして4ローターエンジンを設計、アメリカIMSAで活躍した767に搭載し787として完成。レーサー達の試験評価を元に多くの改善を受け787Bとして完成しました。 匿名さん2014/06/25 22:24