082 理由は当時の他社製品の燃費の目覚ましい向上でした。レシプロ機関を使用する他社は、マスキー法に始まる排ガス規制が大方クリア出来たのでさらなる機関の改善に乗り出して性能の目覚ましい発展の時期に突入していたのです。 匿名さん2014/06/25 21:53
084 そこにオイルショックも重なりロータリーの評判は地に落ちます。 実はこの時代のロータリーエンジンは燃費という点では極端に悪い物では無かったようです。しかしメインのロータリースポーツ車の評判は低燃費であることが定評でありロータリーエンジンの汚名は簡単に晴れるものではありませんでした。 匿名さん2014/06/25 21:59
085 そんな時、マツダをレースに誘う男がいました。ロータリー車に惚れ、ロータリー車でレースを戦っていた寺田陽二郎です。「フランスには燃費を含め車の総合力を競う大きなレースがある。そのレースで勝利してロータリー車の優秀さをアピールしましょう!」 匿名さん2014/06/25 22:02
088 しかしこの話はマツダの会議で議題となるや一蹴されます。ル・マンでの勝利の有用性が疑問視されると同時に、さらに会社の財政を圧迫するのではないかとちう危機感もあったようです。 匿名さん2014/06/25 22:05
090 そんな中で寺田さんは一人、プライベーターとしてル・マンに参戦しますが、結果は惨敗。全てがル・マンに於て駄目だったと語っています。翌年、翌々年も参戦し、徐々に完走に近づくものの毎回ル・マンというレースの結果としては惨敗としか言えない結果ばかりでした。 匿名さん2014/06/25 22:10