061 この時期ホンダはようやく2ストレーサーの開発を始めますが4ストの開発も継続しています。 そしてついに1981年6月、国内レースの鈴鹿200qでNR500は優勝します。この年NR500は一定の成果を出し続けチームを喜ばせますがホンダにとって2位は敗北と同義であり、NR500は翌年その姿をサーキットから消してしまいます。 匿名さん2014/06/25 20:31
062 サーキットから姿を消したものの開発は続けられ、1983年には130馬力を達成します。しかしながら性能の向上著しかった2ストマシンにサーキットは委ねられていました。 その後NR500は1982年9月の日本グランプリにエントリーしますが、このレースは結局台風で中止。楕円ピストンマシンはその後レースに出ることはありませんでした(T_T) 匿名さん2014/06/25 20:37
064 一方、2ストのホンダマシンはやはり他社と同じレイアウトを取らず、他社が4気筒なのに対して3気筒で戦っています。コンパクトなエンジンを使い空力的に優れたマシンはコーナリングスピードが向上。パワー一辺倒の時代に他社と違う方法で勝ちを狙うホンダ流を見せます。 しかしながら結果は悪くなかったものの結局は他社と同じ4気筒マシンに移行。無敵時代に突入してしまうのでした。 匿名さん2014/06/25 20:46
065 世界GPでホンダしか勝っていなかった時代に於て、4ストマシンなど忘れさられていた1992年。NRは市販車としてその姿を見せます。このNRはレーサーだったNRからさらに進歩しており、全く新しい形で製作されたピストン、市販に耐えるバックトルクリミッター、フューエルインジェクション等の最新技術が満載。何より市販車レベルの完成度でありながら130馬力/14000rpmを発生しておりホンダの魂がバイクの形をしているといった佇まいでした。 匿名さん2014/06/25 20:55
067 結果から見るとホンダに連敗の時代をもたらしたNRはレースという舞台では失敗作だったと言えるでしょう。しかしホンダ社内ではNRの開発に位を唱える者はおらず、その開発姿勢は皆に賞賛されたといいます。当然ながらホンダファンもそういうホンダの姿勢を愛して止まない人達なのでNRというマシンはホンダファンにとってある時には連戦連勝のNS500よりも特別なマシンとなったのです。また、ホンダは楕円ピストンマシンの開発で100以上の特許を取得したと言われ、企業としては損得の無いものだったのかもしれませんね。 匿名さん2014/06/25 21:04