000 (・ω・)←八王子のキンタマと戯れるスレ-2 +本文表示 コメント本文は削除されています。 匿名さん2023/10/29 20:04 前スレ>>(・ω・)←八王子のキンタマと戯れるスレ 次スレ(・ω・)←八王子のキンタマと戯れるスレ-3>>
065 鴨長明の『方丈記』の冒頭のところが私にはおかしく思えるんですが、他の人たちは全然おかしいとは思わないですか? ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 (現代語訳) ゆく河の水の流れは絶える事がなく流れ続ける状態にあって、それでいて、それぞれのもともとの水ではない。 なにがおかしいと思うかというと、 河の水は絶えず流れ続けているんだから、それぞれの水はとどまることなく流れ去っていくんだから、それぞれの水がもともとそこにある水であるわけがないじゃないですか。 流れ去っていく水はもともとの水でないのはあたりまえじゃないですか。 ところが、鴨長明さんは「河の水は絶えず流れ去っているのに、それでいてもともとの水がとどまっていない」と。そんなのあたりまえのことなのに、それがまるで不思議でたまらないことであるかのようにとわざわざ言ってるのはおかしくないですか? 匿名さん2023/11/04 20:422
072 >>65 そこはやはり不思議だと思うのですよ。水は流れていくのに水がなくならないわけですよね。 水が流れて行ったら、水は流れ去って、乾燥地になるのではないか。でも、そこに水がとどまり続けるのは不思議だなと思うのです。 さらに常に水が入れかわってるのなら、その川は同じ川なのか。 鴨川の水が常に流れていれかわるなら、さっきの鴨川と今の鴨川は同じ川なのかとも思うのです。 人体でいうと細胞は常にいれかわってる。脳細胞も常にいれかわってる。 昨日の俺の細胞と今日の俺の細胞は違う。細胞が新しくなってるのに今日の俺と今日の俺は同じ俺と言えるのか。 全身の細胞は1年あればすべていれかわります。1年前の俺と今の俺は同一個体と言えるのか。不思議に思います。 (・ω・) 匿名さん2023/11/04 20:582