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【ペン専用】SUPERNOVA(旧 超新星)★62
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ほどほどに
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この日、保利官房長官は「返還後の沖縄には非核三原則が適用される」と記者会見で話している。つまり政府は首相答弁と官房長官談話を通じ、返還交渉にあたり沖縄基地の態様については「核抜き本土並み」で臨むことを明確にしたのである。
数日後、佐藤は紀尾井町の福田家で各新聞社の政治部長と会食している。この席で質問された佐藤は、参議院での答弁について「言うつもりで言った」と話している。
「憲法もそのまま、安保も自動延長なら、核抜き本土並みになるのが当然」と佐藤は考えていたのである。だが新聞の扱いはあくまで懐疑的で、核抜き本土並みは対米交渉態度であって、返還時においてはまた違った結末になるのではないかと予測したりしていた。
2月12日、川島副総裁は時事通信社の内外情勢調査会で「戦後、衆議院の解散は平均して二年ごとに行われている。二年を過ぎれば人心はあきる」と講演し、佐藤に早期解散を進言したことを明らかにした。川島演説には尾ひれがついて、解散風が国会の中を吹き抜けた。
社会党は翌13日、緊急中央執行委員会を開いて「佐藤内閣打倒、早期解散」の方針を決め、国会活動を早期解散に向けて集中することを決めた。
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政府与党の首脳は降ってわいた解散風を懸命に否定して回り、18日の政府与党連絡会ではとくに早期解散をとり上げ、正式に否定することまでやって手をつくした。解散風が沈静するにはほぼ一月を要し、佐藤も若手議員との懇談会を通じその沈静化につとめた。
国会は相変らず与野党の対立で重要法案の審議が進まなかった。国鉄運賃法の改正案は、運賃値上げを決める法律改正なので社会党などは絶対反対で、委員会の開会にも応じなかった。自民党は已むを得ず同法案を3月25日強行採決、4月8日には総定員法案を、5月22日には国会の会期延長も強行する。
自民党のこうした高姿勢は、明年にせまった70年安保や沖縄返還に対する保守党の使命感から出発していた。国会において絶対多数という国民の負託を受けながら、少数野党にふり回され、そのため政府与党が必要と考えている法律案の審議も出来ない、こうした状態は容認出来ないという保守党の使命感が働いたのである。沖縄返還問題にしても、社会党や共産党の態度は、沖縄の祖国復帰そのものに反対のようにさえ見える。両党院内外の活動は学生運動をテコにして返還のための対米交渉さえも粉砕する構えである。
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政府与党の首脳は降ってわいた解散風を懸命に否定して回り、18日の政府与党連絡会ではとくに早期解散をとり上げ、正式に否定することまでやって手をつくした。解散風が沈静するにはほぼ一月を要し、佐藤も若手議員との懇談会を通じその沈静化につとめた。
国会は相変らず与野党の対立で重要法案の審議が進まなかった。国鉄運賃法の改正案は、運賃値上げを決める法律改正なので社会党などは絶対反対で、委員会の開会にも応じなかった。自民党は已むを得ず同法案を3月25日強行採決、4月8日には総定員法案を、5月22日には国会の会期延長も強行する。
自民党のこうした高姿勢は、明年にせまった70年安保や沖縄返還に対する保守党の使命感から出発していた。国会において絶対多数という国民の負託を受けながら、少数野党にふり回され、そのため政府与党が必要と考えている法律案の審議も出来ない、こうした状態は容認出来ないという保守党の使命感が働いたのである。沖縄返還問題にしても、社会党や共産党の態度は、沖縄の祖国復帰そのものに反対のようにさえ見える。両党院内外の活動は学生運動をテコにして返還のための対米交渉さえも粉砕する構えである。
024
自民党にとっては理解し難い政治行動であり、当時の党幹部がしきりに口にしたように「多数党の役割を再確認」して「占領下の惰性を一掃して政治の姿勢を立て直す」必要があった。そのためには強行採決によって多数派の支持する法律を成立させることもさることながら、70年安保反対で社共両党の実戦部隊になりかねない暴力学生の動きに予防措置を講じ、少数暴力の根を切っておく必要もあった。
3月27日の誕生日は、前々日の衆議院運輸委員会の強行採決の余波で国会はもめていた。公邸での誕生祝いが終った後、夜遅く佐藤は国会内大臣室で西村民社党委員長と会見した。社会、公明両党が強行採決の後、石井衆議院議長の示した斡旋案を拒否して審議に応じないので、民社党の協力を求めたものであった。民社党は翌28日、議長室封鎖などの混乱の中を衆議院本会議に出席する。ここで国鉄運賃法改正案は可決される。西村委員長との会見は、今後に予定される大学立法についても民社党の協力を期待する意図もあった。
3月28日、米元大統領アイゼンハワーがワシントンの陸軍病院で死去する。78歳であった。佐藤は岸元首相を特使として葬儀に出席してもらうことにした。
025
自民党にとっては理解し難い政治行動であり、当時の党幹部がしきりに口にしたように「多数党の役割を再確認」して「占領下の惰性を一掃して政治の姿勢を立て直す」必要があった。そのためには強行採決によって多数派の支持する法律を成立させることもさることながら、70年安保反対で社共両党の実戦部隊になりかねない暴力学生の動きに予防措置を講じ、少数暴力の根を切っておく必要もあった。
3月27日の誕生日は、前々日の衆議院運輸委員会の強行採決の余波で国会はもめていた。公邸での誕生祝いが終った後、夜遅く佐藤は国会内大臣室で西村民社党委員長と会見した。社会、公明両党が強行採決の後、石井衆議院議長の示した斡旋案を拒否して審議に応じないので、民社党の協力を求めたものであった。民社党は翌28日、議長室封鎖などの混乱の中を衆議院本会議に出席する。ここで国鉄運賃法改正案は可決される。西村委員長との会見は、今後に予定される大学立法についても民社党の協力を期待する意図もあった。
3月28日、米元大統領アイゼンハワーがワシントンの陸軍病院で死去する。78歳であった。佐藤は岸元首相を特使として葬儀に出席してもらうことにした。
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>>10
じゃあペンミでもSSはその件に触れないの?
花畑SSペン以外は行ったらますますモヤモヤしそうw
027
>>26 都合悪いことはだんまりかな
来年話すんじゃないか?
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>>26
みんなもう合流ないことうすうす感じてるでしょ?
まぁゆるゆるな所が好きだけどね
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ソロでコケたら入りそう。www
それでもYは受け入れるんだろうな
031
はっきりと明言を避けているのは
8月ファンミの社長の発言から
感じられたよね
脱退は決まっていても
言うタイミングを
図っているなあと感じた
それが吉と出るか凶と出るか
わからなかったけど
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