000
エンタメのひろば 83
+本文表示
プレミア12
920
リアル野球盤て素人のほうが有利だな
当たりそこないでシングルヒット積み重ねちゃう
921
日米のスーパースターはチビ!
トム・クルーズ170センチ
木村拓哉 170センチ
どちらもチビなんである
どちらもスーパーがつくスターなんである
どちらもイケメンなんである
どちらもカッコいいのである
この2人に
氷室京介 推定165センチ
をブラスして自分の中では
スーパースター謎の3大チビと呼んでいるのである
922
井上一樹
私のプロ入り初ホームランは、97年9月3日。
プロ8年目、バッターに転向して4年目でした。相手は広島東洋カープ。場所は広島市民球場でした。
私の記念すべき初ホームランは、ある人のアドバイスによって生まれました。
その頃、私は自分の大きな体とパワーを活かすため、長距離バッター用のバットを使っていました。
長距離バッター用のバットは、重心が先の方にあります。
振るのに力が必要ですが力強いスイングができ、当たると大きな打球になるバットです。
そんなバットを使っていた私にその試合前、一人の先輩が声をかけてきました。
その先輩とは、当時、広島東洋カープから4年ぶりにドラゴンズに戻ってきた内野手の山田和利さんです。
私のバットを見た山田さんは一言「こんなバットで打てすか(打てないよ)」と言うのです。
(・_・)
923
東海テレビ
『イージーライダー』
(・_・)
924
アントニオ猪木VSアンドレ・ザ・ジャイアント
格闘技世界一決定戦
アンドレ・ザ・ジャイアントは66年に19歳でプロレスデビューを果たしている。
国際プロレスに「モンスター・ロシモフ」の名で初来日したのが70年1月(23歳)で、そこから2年間は国際プロレスで急激な成長ぶりを見せつけた。
73年3月にニューヨーク(WWWF)のボスだったビンス・マクマホン・シニアと専属契約を結び、そこで「アンドレ・ザ・ジャイアント」と改名して無敵伝説をスタートさせた。
マクマホン・シニアとの提携に漕ぎつけた新間寿営業本部長は74年2月、ついに新日本へのアンドレ招聘に成功。
ここから86年の最後の対決に至るまでの12年間、猪木とアンドレは毎年のように勝ったり負けたりを繰り返した。
この時点でアンドレはすでに40歳になっており、肉体的な衰えが顕著。
往年の無敵ぶりは見る影もなく消え去っていた。
その意味では76年10月7日蔵前国技館における格闘技世界一決定戦は、内容的にも最もハイレベルな攻防を見せ、両者の残したシングル戦の中では文句なしの最高試合との評価が高い。
(・_・)
925
アンドレ・ザ・ジャイアント=神木隆之介説
926
2004年の神木隆之介
927
今日はサンモニ早いな
928
張本爺さん
ヨタヨタだけど元気だな
929
日本のレジェンド俳優列伝
高倉健
多くの名作映画に出演し
寡黙なイメージです
男なら誰もが憧れる健さん
出身は九州ですか主演映画の舞台は北海道が異常に多かった
若い頃は網走番外地などのヤクザ映画を中心に活躍してました
その頃すでに渋くてカッコ良さはハンパなかった
腹にサラシを巻いて日本刀構えている姿も目に焼き付いています
※このスレッドのコメントはこれ以上投稿できません。