000
エンタメのひろば 80
+本文表示
絶対勝つぞドラゴンズ!
769
嗤う淑女
松井玲奈
(・_・) SKE48 W松井。
松井珠理奈の凋落っぷりが
770
>>769
初めて観たけどコエ〜…
ところで原作者が中山七里になっとって
これは岐阜県出身者やなとググってみたら故郷の近くの地名を取ったんやと
下呂か飛騨金山かそこら辺やな
771
立嶋篤史
◆ヘビー級は5ラウンド動けないからと作られたルールですよね。
僕は当時から、ずっと言い続けていたことですけど、3ラウンド制だと『よーいドン』の戦いになり、先に当てたもの勝ち、ダウンを奪ったもの勝ちになってしまい、本来あるべきキックボクシングの攻防の面白さがなくなってしまうと思うんです。
■たしかに5ラウンドだと序盤にダウンを喫しても、後半で巻き返す場面を何度も見てきました。
3ラウンドだとダウンしたら、ほぼ勝負が決まります。
◆そうです。
そのうち2ラウンド、1ラウンドの方がもっと迫力があって面白い。
何だったら計量が終わったらジャンケンで試合を決めるようになるかもしれない。
(・_・)
772
パリ五輪
柔道女子48キロ級 角田夏実
(・_・) 決勝
773
角田夏実🥇
774
増田俊也
◆いろいろ批判もあるんだけど、猪瀬直樹さんとか、佐野眞一さんとか、かつてのノンフィクションの書き手は、足で稼いで多くの証言を取って来たものですよ。
三島由紀夫の評伝『ペルソナ』で、三島が切腹する場面を猪瀬さんは書いているけど「介錯は一回で成功しなかった。一太刀は頸部から右肩にかけて、一太刀は顎にあたり大臼歯が砕けていた。相当な苦痛であろう」とある。
あれなんか、絶対に取材しないと書けない話だから。
細田昌志
◇僕も『ペルソナ』は相当、夢中になって読んで、三島が杉村春子との感情的対立から文学座を離れて、次第に右傾化していく様子とか、盾の会のは初期メンバーの持丸博に直接取材していたのも目を惹きましたね。
◆結局、それらは猪瀬さんが、資料の渉猟だけでなくて、取材をきちんとやっているからこそなんだよね。
(・_・)
775
ゆきゆきて、神軍
原 一男
生き残った兵士たちから話を聞いてまわった。
そこで驚愕の事実を知ることになる。
「合計で7、8人は会えたんです。みんなニューギニアでは食うものもなくて大変だったって話をしてくれるわけですね。その話のなかに、敵前逃亡や人肉事件について具体的に言うわけじゃないんですが、ちらほらとほのめかすんです。それで私は戦場で何かあったに違いないという感触を得るわけです。そこで奥崎さんに『私と一緒にカメラを回しながら奥崎さんが元兵士たちを訪ねて、そこで相手に問い詰めていってほしい』と丁重にお願いしたんです。奥崎さんは、なんでそんなことをするんだ、というような顔をしてたんですが、『そこまで原さんがおっしゃるならつき合ってあげましょう』と渋々ながら承諾してくれました」
こうして撮影は82年の春に始まるのだが、最初に訪ねた先で、奥崎は元兵士と口論になり殴ってしまう。
(・_・)
776
マスコミに言いたい
オリンピックは、国ごとに金メダルの数やメダルの総数を競う大会ではないぞ。
777
ルックバック
初期衝動が人生を造形していく素晴らしさと同時に、故に何かを失う酷薄さ、才能の邂逅とは必然であり、幸福でありながら残酷さと表裏であることを描いた作品。当作は人生の射幸と喪失があまりにも現実的で恐ろしい。自身にこんな喪失が訪れたら一体どうなるか――考えただけでそら恐ろしい作品である。
当作は一見、感性の離合を描いているようで、実はまったく逆のものだ。魂が引かれ合った者同士は、必ずもう一度再会をしようと、それぞれの時間を食(は)んでいく。その結末のひとつを描いている。同時にヒトの魂から出力されたものに対する理不尽な抗議は、不意にテロリズムのように襲い掛かることがあると改めて警告してくれている。
物語は極めて単純だ。才能の開花は自身によって行われたのではなく、自身を花として見てくれた他者により初期衝動が発動したことによる。才能たちは再会するために散開し、再会は思いがけない暴力によって無惨にも破壊され、永遠の別れが訪れる。終劇時にとどめなく湧き出す感動は、観客に「感動にはストーリー上の変化球やギミックなど一切必要無」ということを自覚させてくれる。とても素直で純粋な物語だった。
778
中学時代、友人たちと漫画の同人誌を作り続けたことを思い出した。勉強もせず、彼女も作らず、夏休みは図書館で、冬休みはコタツでひざを突き合わせ、この映画と同じようにわき目も振らずに描き続けた。クリエーターになったのはいちばん絵が下手だった私だけだ。映像監督たちに「編集うまいね」と言われるのは、この時にコマ割りをしまくったお陰だろう。皆何かに取りつかれたように描き続けていた。理由は自分たちでも分からなかった。互いに自作で相手をうならせてやろうとひたむきに描き続けた。藤野の背中と同じである。描き続けて数年が経過し、気づくと漫画よりもリアルを撮影できる映画の世界にたどり着いていた。
やめようと思ったのも同じである。「こんなにうまいやつがいる」と思った瞬間、投げ出した。けれどもかぶとを脱いだ相手からの賀状に「あなたの作品は絶対にまねができない」と書かれていて、藤野のように魂を揺さぶられ、もう一度、作劇の世界に戻ったのだった。こんな経験をしたクリエーターたちは、きっと世界中にいるに違いない。そしてそんな彼らから時代を動かす作家が生まれていることも間違いないのだ。当作の動輪が優れているのはこの点だ。
※このスレッドのコメントはこれ以上投稿できません。