000
キュウちゃんと語ろう 465
+本文表示
“王家の谷”は雪にうもれてます😀
930
931
あら残念。
都こんぶは羅臼産昆布ではないようだ。
932
>>931
羅臼昆布使っとったら、あの値段では無理だわな😆
933
934
>>907
余暇スキーを楽しむなら、東北より名古屋に決まっとるだろうに。
935
>>933
あん時、ロドは拾い画貼りまくって、直ぐに見破られたよね。笑
まぁ、人間よりアホウ鳥のほうが数が多いのだから仕方ないか。(苦笑)
936
>>907
どっちが窮地や。
🤣ケラケラケラケラケラケラケラケラ
937
青木花音
普通に可愛いよな😆
元男にはみえん。
938
九州は阿蘇にスキー場あるな。
やってるの見た事ある。
939
▪️上ノ郷城
築城年代は「平安時代末期に五男十郎と言う者が壇ノ浦の戦いで勝った褒美として当地に地区じ」とか「戦国時代に築城」など諸説ある。駿河国今川氏家臣の鵜殿氏の居城となったこの城を拠点として、鵜殿氏は、現在の蒲郡市のほぼ全域と幸田町の一部を勢力下に治めた。
桶狭間の戦いで、鵜殿氏の主君であった今川義元が討たれると、三河国の松平元康(のちの徳川家康)が今川家から独立し、周辺の諸将が松平家に服属した。しかし、上ノ郷城主・鵜殿長照は義元の妹の子であり、今川方に留まったため、同城は松平氏の勢力圏内に孤立し、元康と松平清善ら松平勢の攻撃を受ける。
堅城である上ノ郷城はなかなか落城せず、元康は甲賀衆を用いて城内に火を放ち、その混乱の中から攻め入ったと伝わる。同城は落城、鵜殿長照は討死にし、長照の二人の子は捕らえられた。元康は彼の身柄と引き換えに、今川氏に正室の瀬名姫と嫡男の竹千代、長女亀姫らを返還を今川氏に要求。交渉は成立し双方の人質が交換された。
以降、攻め手に加わった久松俊勝の居城となり、俊勝の子の松平康元に継がれ、家康が関東に移封となると池田輝政が有し、後に廃城に。
※このスレッドのコメントはこれ以上投稿できません。