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キュウちゃんと語ろう 462
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時代はダイバーシティですฅ(ФωФ)
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▪️桶狭間の戦いまでの経過
永禄3年(1560年)5月12日、今川義元は大軍を率いて尾張を目指し、沓掛城に入った。今川軍は、翌5月18日夜、松平元康(徳川家康)が指揮を執る三河勢を先行させ、大高城に兵糧を届けさせた。一方の織田方は軍議したが織田信長は雑談するばかりで、重臣は「運の末には、知恵の鏡も曇る」と引き去った(『信長公記』)。『信長公記』では、清洲城に篭城をとの家老衆の進言を除け、信長は国境での迎撃を採用したとする。
翌5月19日3時頃、今川軍の松平元康と朝比奈泰朝の部隊が織田軍の丸根砦、鷲津砦に攻撃を開始した。明け方になると丸根の砦、鷲津に今川軍が襲いかかってきたことを佐久間盛重らが織田家に知らせた。前日まで今川軍接近の情報を聞いても動かなかった織田信長はこの知らせを聞いて飛び起きて、突然、幸若舞『敦盛』を舞うと、すぐに出陣の準備をした。そして、明け方の午前4時頃に居城の清洲城より出発した(『信長公記ー今川義元討死の事」)。小姓衆5騎のみを連れて出た織田信長は8時頃、熱田神宮に到着。
その後、軍勢を集結させて熱田神宮に戦勝祈願を行った。この時、織田信長は27歳である。
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小学館 デジタル大辞泉より
辺境(へんきょう)
中央から遠く離れた地帯。国ざかい。国境。
国が乱立し、日本列島の至るところに国境があった江戸時代前、日本中に辺境地があった。
もちろん貧しい漁村だった現江戸(東京)も辺境地であった。
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>>521
国が乱立し、日本列島の至るところに国境があった江戸時代前、日本中に辺境地があった。
もちろん信長が清須に移り廃城となった名古屋(那古野)も辺境地であった。
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>>521
ところで
グリーンファイルってなんだか理解した?
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>>523
狭義では清洲に近く、広義では京に近い。よって辺境にあらず。
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名古屋出身の有名人
・加藤晴彦(俳優)
・源頼朝(征夷大将軍)
(鋭意制作中)
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>>525
《国が乱立し、日本列島の至るところに国境があった江戸時代前、日本中に辺境地があった》
のなら、名古屋(那古野)も立派に辺境
だいたい、当時の宮廷貴族からすりゃ瀬田大橋、いや、山科越えた東はすべて辺境だわ
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>>526
え〜と、無半値センセ〜
“鋭意製作中”のトコロ、まことに恐縮ですが、
>>252
『グリーンファイルには20年前から血液型が書かれていない』
>>288
『俺が施主だったとき、業者にグリーファイル掲げてねーぞ!って突っ返した』
これらはセンセ〜が患ってらっしゃる手の施しようがない不治の病·シッタカ病の症状の典型例、だとは思われませんか?
そこのところ、如何お考えで?
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