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キュウちゃんと語ろう 462
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時代はダイバーシティですฅ(ФωФ)
190
名古屋の歴史は熱田(神宮)の歴史と思うのだけど。
徳川以前、織田信長が寄進した塀が残ってるはずですよ。
戦国軍記モノに染まっちゃってるようだけど。
「熱田台地」の南端が熱田神宮、北の端が名古屋城。
西をにらむのに良い位置とどこかでききましたよ。
191
>>176
《辺境というのは、中央政府からして、最果ての地という意味》
⇒語義通りにこの解釈を当て嵌めるなら
江戸よりも更に先、今の東北地方(一部北海道も)は、平安期には大和朝廷の支配に組み込まれてるの
つまり津軽半島や下北半島が最果ての地であって
《江戸は最果ての地ではない》
のだよ
つまりつまり、江戸は辺境とは呼べないの
いつもの様に、語るに落ちてますよ、カタワ無半値さん
192
>>190
それをゆ〜なら
室町~戦国期の尾張の政治経済の中心は、あくまで守護の斯波氏が居城としていた清州(一部津島)
戦国期の名古屋(那古野)は清州の枝城に過ぎないの
193
草薙の剣を預かっとる熱田の神社勢力、そこからうかがえる朝廷との結びつきを軽視しているのはわかった。軍記モノに染まりすぎたな。
194
In here they honk everytime
ポルトガル
195
>>180>>184
百歩譲らなくとも、家康が江戸に入府した時の名古屋は野っ原に過ぎないよ
何せ名古屋大地の上だから、灌漑が行き届いてない当時はまともに耕作できないのだから
そして、江戸“も”また辺境じゃないよ⇒191
>>181
キミこそ“当時の日本の辺境”がどこなのか理解してないよね⇒
>>191
196
>>186
江戸のコトを言ってるなら、甚だしい間違い
朝廷からみて最東端(最北端)は間違いなく津軽や下北
江戸じゃない
197
>>193
だから
熱田と名古屋が一緒になるのは近世も近世、せいぜいが江戸後期ね
近世以前の熱田と名古屋を一緒くたにしちゃダメだよ
198
武家の戦国時代から時代を遡れば遡るほど、武家ではなくて神社勢力に注目すべきなのではというのが、素朴な疑問。神仏習合なので、寺社かな。
これも、好き嫌いの好き、軍記モノ好きで諸々偏ってるんじゃないのかね。
199
>>198
あのね
熱田に限らずだけど、所謂たいがいの
“神官”
も守護大名やその後の戦国大名の被官、つまり家臣になってるの
つまり、社領(=既得権益)を守るべくより大きな力を持つ大名勢力の庇護下に入ってんの
現に、熱田神宮の宮司なんて織田の家臣として桶狭間の前哨戦で討ち死にしとるの
《朝廷との結びつきを軽視》云々
下剋上荒れ狂う戦国乱世に、鎮護国家を司る延暦寺の様な寺社勢力なら兎も角、熱田にはそんな力はないの
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