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エンタメのひろば47
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アポロが月面着陸して50年、人類は次の一歩を月に踏み入れていない。なぜか?ロッケトや探査機が小型化に成功し人間が乗る必要が無くなった。トラックくらいデカかったコンピュータは手のひらサイズになり、バスーカくらいデカかったカメラは目玉のおやじより小さくなった。人類は巨大化するより小型化する事が進歩だと悟ったのである。
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>>672
ワイドショーでやってる事は究極の庶民向けエンターテイメントでしょ。笑
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新春特別対談
山崎武司vsルーキー根尾
山崎武司が根尾くんに成功の秘訣を伝授。まずは地元に愛される選手になりなさいと笑顔で語る愛工大名電出身の山崎武司。そして真顔で名古屋弁を覚えたほうがいいと飛騨出身の根尾くんにアドバイス。極め付けは、成功の極意と題して、まずは身体を強くしなさい、怪我をせず1年間闘える身体が大事。その為には、科学的なトレー二ングをする事。本をたくさん読んで医学やスポーツ科学を勉強しなさいと豪語。そして先輩やコーチの言う事を素直に聞いてノートをとって復習しなさいと力説。そして試合では頭を使え、新人は頭を使わないから皆失敗するんだ、経験豊富な僕の言うとうりにすれば新人王が取れると力説。そして最後に根尾くんに好きな言葉を色紙に書いてもらって披露。色紙には「聞き流す。」と書いてあった。 笑
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長谷川晶一
ぜひ、スワローズ史上最大級のレジェンドにお会いしたいと思い、もはや歴史上の人物であるカネやんの事務所に取材アポを入れる。
しかし、なかなか返事がこない。
しばらく待って届いたのは「取材はお受けできません」との返答だった。
スケジュールの問題なのか、それとも取材謝礼の金額の問題なのか?
金田さんの指定の場所まで、どこにだって出向くつもりだった。
ギャランティの問題ならば、「いくらでも出す」とは言えないけれど、精一杯の金額をご提示するつもりだった。
それでも答えは「ノー」だった。
理由は不明。
すると、ある関係者からこんなウワサを耳にした。
「カネやんはスワローズ関係の取材はすべて断っているようだよ…」
理由を聞く。
「スワローズに対して、いい印象を持っていないからじゃないの?」
やはり、そうか。
それも当然のことだと思う。
カネやんとスワローズとの別れは、あまり後味のいいものではないのだから。
(・_・)
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>>677>>678
『まあ、ロールスロイスを御自分で運転なさってるんですって?
聞いたことがないわね、ねえ、パーカー?』
『はい、仰有る通りです、ペネロープお嬢様』
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中村武志
2001年オフ、ドラゴンズ一筋でプレーしてきた中村に大きな転機が訪れる。
横浜ベイスターズの正捕手だった谷繁元信が、FA移籍してきたのだ。
その年、盗塁阻止率5割以上を記録し、キャリアハイとなる20本塁打をマークするなど、絶頂期にあった谷繁の加入は、キャリアの晩年に差し掛かっていた中村のベンチ行きを意味していた。
(・_・)
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ニューネッシー
ニューネッシーは、1977年4月25日、午前10時40分頃、ニュージーランドのクライストチャーチの南東約105キロ沖でホキ漁をしていた大洋漁業のトロール船「端洋丸」によって引き揚げられた。
引き揚げ時は、ひどい悪臭を放ち、全身が白い脂肪のようなもので覆われていたが、それが溶けてポタポタと甲板に垂れるような状態だったという。
その異様な光景から、「漫画に出てくる怪獣に似ている」と一部の船員達の間で騒ぎになった。
( ・_・)(・_・)(・_・ )
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長嶋茂雄
現在、東京五輪の最終聖火ランナーとて階段を登り聖火台に点灯するランナーとしてサプライズ出場する為に極秘トレーニング中。
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大塚は
新日本を退社して、自ら興行会社を立ち上げようと考えていた。
猪木は以前から自分の手がけている事業を分割して後進に任せるという案を披露していた。
新日本プロレスから興行運営部門を分離させ、それを大塚に任せる。
アントン・トレーディングとアントン・ハイセルは弟の猪木啓介、さらに内外タイムスを買収して義理の弟である倍賞鉄夫を社長とする。
猪木自身はプロレスラーを引退して、新日本プロレス本体のほか、4つの会社を統轄するという構想だった。
しかし、大塚はそれに飽きたらなかった。
「自分は36歳までに独立するんだというつもりでした。この時期を逃したら、一生サラリーマンで終わってしまうかもしれないと思っていた」
そして同時に、新日本プロレスの経営を改革しなければならないという思いもあった。
(・_・)
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■そうして、馬場さんのブレーン的なことをやり始めるわけですか。
ターザン
◆最初はそういうつもりじゃなかったんだけど、馬場さんが「もっとお客を入れなきゃいかんなあ。誰かいいアイデアがあったら教えてくれ」って、マスコミの前で喋ったんだよ。
みんな馬場さんが助けを求めてるなんて本気にしてなかったんだけど、ボクだけが本気にして、「全日本プロレス再生計画」っていう企画書を元子さんのところに持っていったんよ。
そしたら元子さんがキャピトルのスイートルームを用意してくれて、そこでボクが馬場夫妻にレクチャーしたわけよ。
■畏れ多くも世界のジャイアント馬場にプロレスをレクチャーしましたか!
◆俺もよくやるよなあ!(笑)。
まあ、レクチャーというか、プレゼンだよね。
まずは「みんなが格闘技に走るので、私、プロレスを独占させてもらいます」っていうイメージポスターを作ってね。
■当時はUWFブームだからこそ、逆をいったわけですね。
(・_・)
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(・_・)(・_・) 馬場さんの人柄が敵を取り込み、人脈が客を取り込む
逆をいくには知恵が必要、キャッチーなタイトルが新しい
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