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エンタメのひろば47
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アポロが月面着陸して50年、人類は次の一歩を月に踏み入れていない。なぜか?ロッケトや探査機が小型化に成功し人間が乗る必要が無くなった。トラックくらいデカかったコンピュータは手のひらサイズになり、バスーカくらいデカかったカメラは目玉のおやじより小さくなった。人類は巨大化するより小型化する事が進歩だと悟ったのである。
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天城越え
草履は脱いだほうが疲れぬからと女に言われ裸足になり、下田に向けて女としばらく歩いた。
少年にとってこの瞬時の至福こそ、つづく惨劇への道行に他ならぬことを、語り手の「私」は知っている。
前方に「土工」を認めた女は、少年に、あの人に用事があるから先に行ってくれ、行きなさいとしかった。
後から追いつくと言う女の言葉に期待して、少年はゆっくり歩いたが、女はついにこなかった。
翌日、下田の父母の家に帰った。
少年の顔を見て母は泣きだした。
三十数年経った。
静岡の西側の中都市で印刷業をいとなむ「私」は、静岡県警察部から『刑事捜査参考資料』の印刷を依頼された。
製本した本を何気なく読み、その中に「天城山の土工殺し事件」があり、きれいな女と殺された「土工」のことが記され、少年の「私」も登場していた。
(・_・)
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Flamingo
■だって最大の、記録を塗り替える大ヒットシングルを出したあとに都々逸!?
じゃないのあれ?
米津玄師
◆都々逸でもありますけど(笑)。
■都々逸が途中で出てくるような曲をやるって、そんな自由な奴いないよ?
スケールが違う(笑)。
爆笑したもん、俺。
◆ははははは!良かった良かった。
■最初から確かに、ちょっと民謡っぽい感じだなあと思ったら、途中で都々逸を唸り始めるって「おまえそれやりすぎだろ」っていう感じだよね(笑)。
悪ノリして「おいおまえ!」って言われる一歩手前みたいな。
でもかっこいいよあれ。
すーげえかっこいいよ!
◆ははははは!良かったっす。
■あれは止める奴いなかったの?
◆止める奴はね、いないですよ。
みんなたぶん引いてたんだけどね(笑)。
(・_・)
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■鴨川先生と面識はあったんですか?
江口寿史
◆当時はないですよ。
3年間ずっと「こいつ死なねえかな」って思ってた(笑)。
そればっかり思ってて。
6巻までが最高なんですよ。
7巻からだんだん落ちていって。
あんなに憎んでたのに、落ちてきたら寂しくなってきて、終わったときはすごい悲しくて。
あんなに仮想敵として大きな存在だったのが。
『あしたのジョー』でカーロス・リベラがパンチドランカーになってさ。
■ボタンも留められなくなったような。
◆そうそう、その感じ!
「あの閃光のようだったジャブが…こんなになっちまって…」みたいな。
■いいライバルでいてほしかったのに。
◆だから『マカロニ2』も終わって80年代に入ってから会いに行きましたよ。
(・_・ )
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1976年のアントニオ猪木
アントニオ猪木はどうしてそんなことをしたのか。
アントニオ猪木とは何なのか。
そしてプロレスとは。
著者の柳澤健は、その不思議にみちびかれてこの本を書いた。
いうまでもなく、この本は額縁に入れて飾るようなアントニオ猪木の伝記でも、プロレスやプロレスラーへの安っぽいオマージュでもない。
きわめて真面目な歴史書である。
猪木は、ジャイアント馬場とともに力道山に見いだされたプロレスラーだ。
二人とも逸材であったが、アスリートとしては断然猪木がすぐれていたと柳澤はいう。
馬場のことはまったく評価していない。
しかし、1963年に力道山が暴力団員に腹を刺されて死亡すると、力道山が築いたプロレスという巨大な遺産のすべてを引き継いだのは馬場だった。
すぐれたアスリートがすぐれたプロレスラーであるとは限らない。
プロレスはスポーツではないからだ。
(・_・)
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(・_・)(・_・ ) ヨシキのディナーショーなどにも行く、音楽に詳しい人と合っての話を思い出しました。
Xジャパンの楽曲では、高温のイメージしかないトシ、実は高音は苦手。ヨシキは、トシは高音が苦手なのを知っていた。トシの得意は低音から中音、だから低音。中音の域をジックリ歌わせてからの高温で、その上下差で高い音を際立たせているだけなのだと。
では、なぜヨシキはトシの高音にこだわるのか?トシの高音がトシの一番の美しさなのだと。無理の限界、苦しみのリミット。その声が裏返らない限界を曲のキーで作るとのこと。トシのためのXジャパンの楽曲。トシがいないと曲は無価値になって休む。
ヨシキは演者であり、マネージャーであり、プロモーターなのだと。
馬場がヨシキなら、猪木はトシ、経営には馬場が上だったのかもしれません
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あ〜見た目もトシは猪木でしたか。
ヽ(ヽ・_・)(・_・ )
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天城越え
女は修善寺の売春婦大塚ハナ。
「土工」に身体を売ったが金をはらわないので刺したと自供したが、その後自供をひるがえした。
物的証拠はなく、裁判所はハナに無罪を言い渡した。
印刷を注文した田島元刑事が訪ねてきて、冊子は読んだかと聞いた。
かつて捜査に参加し、この原稿も書いたという田島は「私」に、当時見落としたのは少年だった、少年がなにか知っていたはずだと言い、「私」をじっと見た。
とっくに時効になっている事件ではあるが、殺害の動機がわからない、と田島は言い残し帰っていった。
あのとき、暗い道をひきかえした「私」は、さらに暗い藪の中で、二つの黒い人影が交わっているのを見たのだった。
事前に約束した額の倍の金をとりあげた女は先に行き、ひとりのろのろと歩く「土工」を「私」は、ふところに持っていた切出しで斬りつけて殺した
(・_・)
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■鴨川先生、あの時代にあれだけ売れてたのに、ぜんぜん儲かってなかったって噂で。
江口寿史
◆うん、しかもアシスタントも使いたくなくてひとりでやってたから、ホントに作品に殉じてたんですよね。
だから、まあそんなやり方したらね、そりゃもたないわと思いますけどね。
あれだけのものを描いたからね。
■燃え尽きちゃったわけですね…。
(・_・)
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1976年のアントニオ猪木
それを柳澤はつぎのように説明する。
「よくプロレスは八百長などと言われるが、正確には違う。八百長試合ならばどんなスポーツにもある。普段は真剣勝負を戦い、時々負けてやるというのが八百長である。一方、プロレスでは真剣勝負は禁止されている。勝者と敗者を決めるのは観客の欲望を代行するプロモーターであってレスラーではないのだ。
プロレスラーにとって試合の勝ち負けはどうでも良い。観客を喜ばせたレスラーがメインイベンターとなり、それだけ多くの収入が得られる」
では、それはどのようにしておこなわれるのか。
1976年のルスカとの試合はつぎのようにおこなわれた。
(・_・)
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