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エンタメのひろば47
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アポロが月面着陸して50年、人類は次の一歩を月に踏み入れていない。なぜか?ロッケトや探査機が小型化に成功し人間が乗る必要が無くなった。トラックくらいデカかったコンピュータは手のひらサイズになり、バスーカくらいデカかったカメラは目玉のおやじより小さくなった。人類は巨大化するより小型化する事が進歩だと悟ったのである。
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(・_・)(・_・) 日本人でメイウェザーを知る人は少ない
その記録も収入もパフォーマンスも
世界中のプロスポーツ選手の中で、ぶっちぎりの1位なのに
今年からは、メイウェザーに負けたアルバレスというボクサーが来ますね!
ちなみに、このエンタメスレではメイウェザーとパッキャオ戦のずっと前からメイウェザーを取り上げられてました
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あ〜アルバレスというボクサーが日本に来ますか。
ヽ(ヽ・_・)(・_・)
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>>890
ヨ・Ш・) マスメディアいうフィルターを通してしかわかりようがないんでの。
アリ&タイソン以降の世界の頂点はわからん。
日本人の軽量キュウの世界戦が一時だけ持て囃された流行語のように通りすぎるだけや。
エンタメ・スレで誰もが知っとるレジェンドが取り上げられるんを批判しとる人はこの点をどう思うんや?
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(・_・)(・_・ ) 日本に来るではなく、メイウェザーくらい稼ぐ王者に駆け上がるという意味でした
解りにくい説明でした、すいません
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あ〜アルバレスが日本に来る〜。
じゃなくてブレイクする方でしたか。
ヽ(ヽ・_・)(・_・ )
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木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
増田俊也
■僕が、あの猪瀬さんの「枯れない殺意」を読んだのは1993年、木村先生が亡くなられた直後でした。いつも『週刊文春』は猪瀬さんが連載されていた「ニュースの考古学」を最初に読んでいたんですが、死の直前といってもいい年齢のときに木村先生があのような発言をされていたことを知り、あまりに衝撃を受けて…。
猪瀬直樹
◆あれは『欲望のメディア』を書いた時に、ずっと木村政彦に取材を申し込んでいて、やっと取材が許可されたんだよね。
それで会いに行ったんだ。その時の顛末を没後に『週刊文春』に書いた。
多摩のほうで、駅から歩いて行ってね。
普通の家だった。
■そうですね。
当時の木村先生のご自宅はすごくわかりにくいところにありました。
◆僕もちょっと生意気な言い方で聞いたから、けっこう本当に一触即発の、張り詰めた空気になったんだ。
■亡くなられる直前の当時の木村先生の写真が残っています。
これです。
このあたりの写真が当時のものになります。
◆うん、こういう顔だ。
こんな感じのメガネをかけていたけど、眼光が鋭かった。
(☆_☆)
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◆でもね、『欲望のメディア』の時には、あえて書かなかったこともある。
■それは…。
◆ああ、ここだ。
ちょっと読んでみようか。
僕は木村に会ってみたくなった。
幾度も断られ、1年後にようやく取材を許された。
「どうしてもというなら、これだけ伝えよう。あれはどちらが勝っても事件になるので、引き分けと話がついていたんだ。私が勝てばリングサイドの奴らに必ず殺された。股間を蹴るふりは反則したぞという合図。つぎに空手チョップを受けやすく躯を開いた、とたん本気の空手が入ったんですから、たまりませんよ」
騙されたんですね。
「いや、そんなことではない。ああいう卑怯なことをしたので、報復した。彼は命を落とした」
どういう意味か。
「私が座禅を組んで念をかけた。すぐには死ななかったが、十年後に死んだ」
72歳の木村は、力道山の不慮の死を、そう理解していた。
◆ここで止めたんだ。
■…本当は、その後で木村先生は、猪瀬さんにあの言葉を言っていたんですね。
(・_・)
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ここに「枯れない殺意」があります。
『欲望のメディア』のやりとりにはこういう続きがあったのですね。
「ここですよ」
と木村は額を指さした。
僕は意味がわからなかった。
「ここに殺≠ニ書いたんです」
書く?
ああ、イメージで前頭葉のあたりに字を描いたわけですね。
「そうだ」
そんなことをしたって人は死にません。
「いや、死ぬんだ」
念力ですか。
納得できませんね。
「あんたについても殺≠描こうか」
◆そのまま再現した。
取材のメモにもあるからね。
彼が生きていたから。
でも確かに言われたんだよ。
それは間違いない。
緊迫した空気だった。
■取材の気迫がすごく伝わってきました。
この1ページ半の文章を猪瀬さん、3日かけて書かれたそうですね。
入魂の文章です。
僕はあれを読んで衝撃を受け、ずっと、木村先生がどれだけあの試合のことを悔いていたのかを考えてきました。
年老いてからも苦しみ続けて、訪ねてきた猪瀬さんにあんな言葉を吐いたことが…。
(・_・)
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■でも世界的に見れば超有名選手で、特にアメリカではとんでもない知名度ですからね。
では、日本のファンにわかりやすく、メイウェザーの凄さを説明するとどんな感じですか?
藤田大和
◆最初からずっと凄かったですからね。
アトランタオリンピックの銅メダリストからプロデビューして、最初は無敗のままスーパーフェザー級でWBCの世界チャンピオンになって。
それも強いチャンピオンのヘナロ・エルナンデスに勝っての王座獲得でしたからね。
■1本目のベルトの時点で、世界チャンピオンの中でも凄い存在だったと。
◆そこからライト、スーパーライトと上げていって。ただ、ボクはスーパーフェザーのときが一番好きでしたね。
ジャブの多彩さと、ちょっと荒削りところがまたよくて。
階級が上がるにつれて丁寧になっていって、ディフェンス能力が上がっていきましたよね。
■スーパーライト級王者時代は、メイウェザーもけっこう荒削りでガンガン来るタイプだったと。
(・_・)
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佐山聡
だが、ショーでありエンターテイメントであるプロレスは、リアルファイトのバーリ・トゥードとはまったく異なるものだ。
バーリ・トゥード最強の戦士はプロレスを理解せず、観客を興奮させるような試合をすることができなかった。
ゴメスは藤原喜明らと前座試合ばかりを戦い、アントニオ猪木や坂口征二と戦うことはついにないまま、91連勝という記録だけを残して76年2月にブラジルに帰国した。
佐山聡は、合宿所でともに暮らしたゴメスからバーリ・トゥードの写真を見せてもらったことがある。
(・_・)
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