000
エンタメのひろば36-3
+本文表示
今度は、わたしとオレが
(@◎@)( )
390
仰向けに倒れたジャッキーの頬を、横から蹴り上げる神取。
そして、最後の腕がらみに、ジャッキーは「ギブアップ」。
これが生涯唯一のギブアップ負けだった。
ジャッキーはこの後、ジャパン女子から離れ、実質的に引退。
1992年、同団体は解散後、JWPとLLPWの2つの団体へと分派。
神取はLLPWの主軸として活躍。
2002年からは、同団体の社長も、断続的に務めている。
ジャッキーは1999年8月9日、胃がんで死去(享年41歳)。
その通夜には神取も出席した。
報道陣の問いかけに、「一度でいいからじっくり話し合って、わかり合いたかった」と、口を開いた神取は、途中から号泣。
「悔いしか残っていない…」と呻いた。
会見の締めの言葉は、「心から『ごめんなさい』と言いたい」というものだった。
(・_・)(・_・)
391
くだらん話ばかりかいとんなや!
392
393
394
395
ドラフトで
指名されたのを拒否し、後に他球団に入って活躍した選手が何人かいる。
入団拒否といえば江川卓が最も知られているが、例えば1965年の第1回ドラフトでは、平松政次(岡山東商高)が中日ドラゴンズ4位、谷沢健一(習志野高)が阪急ブレーブス4位
(・_・)
396
『メビウス』
2013年/キム・ギドク
夫の浮気に狂った妻が、何を思ったか息子の性器を切断。
そのまま妻は息子の性器を飲み込んで家出。
夫は息子のために奔走し、息子は父親の浮気相手につきまといはじめ、家族は徐々に狂い始める
(・_・)
397
投手馬場正平は、常に自分の100%を出して真剣に投げていた。
しかし、2メートルの大巨人が投げるだけで観客は沸き、馬場の意志とはまったく別のところで、真剣勝負たるプロ野球に見世物≠ニいう雰囲気が漂う。
さらに異形の大巨人がひとたびマウンドに上がれば、観客の視線はスター選手の頭上を通り越して、馬場に集中してしまう。
それらを嫌う人間が、コーチや先輩に多かったのである。
合宿所の寮長を務めた武宮敏明は「馬場は巨人時代、背が高いことで損ばかりしとった」と回想している。
繊細な神経の持ち主が、自分を排除しようとする人々の視線に気づかなかったはずはない。
ただ、馬場は認めたくなかった。
子供の頃から憧れた読売巨人軍が、完全なる実力社会ではなく、人間を差別する嫉妬深い人々の集団であったことを。
(・ε・ )
398
戦場のメリークリスマス
おっ、三上寛と一緒の場面に出ているのは、若き日の三上博史だな。
(・_・)
399
>>397
奇しくも国籍差別により角界から飛び出した力道山と境遇が似とるの。
力道山の脛には後に横綱となる初代若乃花だったかの?をシゴキ倒した時に噛みつかれた歯形を隠す為に黒タイツを履いたという逸話がある。
-Ш- 張さんが言うとった。
※このスレッドのコメントはこれ以上投稿できません。