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ニュー令女 ねね
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元AV女優 どんな感じでしょうか?
エロいのかな⁉️
マットできるなら入ってみたい。
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私は元々人との交流がにがてで。特にお父さんが嫌いでした。お父さんのお母さん(父方祖母)もきらいです。お母さんにやさしくしないし、ただただ息子だけが大事な人で、それだけのために生きてる人でした。(まだ生きてる)お父さんのお父さん(父方祖父)は好きでした。自分たちに娘がいなかったから、唯一の女の子の孫の私をたくさん愛してくれました。私が小学生のときは、わたしによく砂や木の枝をぶつけたり頭をぶったり、耳元で大きな声で叫ぶ男の子に町内パトロールをしてたおじいちゃんはそれに負けない大きな声で怒鳴って泣かしてくれました。そしてその子からのいじめはなくなりました。(睨まれたりはあった)世界仰点ニュースのダイエット企画のおじいちゃんおばあちゃんみたいに、私にたくさんお菓子やおもちゃ(中学生になっても)や服をくれるような私めちゃくちゃ溺愛おじいちゃんでした。
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自分も虐待されてたからわかる
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話を戻して、私の家族はお盆とお正月はぜったいお父さんの親戚と会う約束の家族で、交流が苦手な私はそれが大嫌いでした。お父さんとおばあちゃんは特に猫かぶりで家ではちがう顔をみんなに見せてきもかったです。お母さんがほんとに可哀想でした。
あとどこの学校に通ってるか教えないといけないのと成績表や学校の順位、得意科目苦手科目、学校の写真など見せられたりなどすべてがきもかったです。
私は因みに小さい頃からそこだけは有り難いですがお父さんの影響でマイケルジャクソン、ホイットニーヒューストン、ABBA、ビートルズを聴いてきた影響で英語がいつも学年で上位に入れるくらい成績はよかったです。国語、世界史、日本史、英語、図工、家庭科が得意でした。
そしたら自分たちの子供自慢バトルがはじまります。
これがほんとにきしょいからわたしはよく上の階に行くか、外に行って一人で公園であそんでいました。
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わたしが小学生の頃、そのときまだ体罰は問題視されてなく、先生は生徒をぶち放題でした。(場所に寄るらしいけれど)
校長先生はさすがにぶたないけど、女子生徒のあたまをへいきでなでていました。
わたしはその頃から自傷をしてました。
お父さんから多少虐待?みたいなことされてました。
1番わたしが悲しかった思い出は、家でわたしがトイレに行く前、わたしを床にたおして足でわたしの膀胱を踏んでおもらしさせて遊ばれるのが1番嫌でした。
笑うお父さんの顔も嫌でした。
2番目はタバコの吸い殻をお茶でとかしたものをわたしが反抗的な態度を見せると飲まされぜんぶ飲めって言われて、それは大人になってどんなにだれかとたのしいことをしても一生思い出す父の思い出になりました。
円形脱毛症、頭を壁に打ち付ける、かさぶたをめくって食べる(異食症)、爪をかんで食べる、髪の毛を抜いて食べる、尖った物で肌を傷付ける、過食嘔吐
小学生なのに、いろんなことしました。
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わたしが小学校4年生の頃気の強そうな新しい女性の先生がやってきました。名前は今でも忘れません。近藤先生。
近藤先生もまた体罰先生でした。
小学校4年生のとき事件が起きました。
今まで家族ぐるみで仲良くしてたknちゃんが、わたしが学校を休みがちのせいで、新しい友達monちゃんと仲良くなってしまいました。
びっくりするほどハッキリと「ごめんね。◯◯ちゃん。もう◯◯ちゃんとあそびたくない。monちゃんと"親友"になったからもう◯◯ちゃんと"友達"をやめる。」と言われました。えーと思ってそのときはうん、わかったて言って泣きませんでしたが、休憩の時クラスにもどって席についた途端にわーっと嗚咽するほど泣いてしまいました。
それをknちゃんとmonちゃんが見てて、どうしたのーととくに仲良くない子に話しかけられ、大丈夫と言い、保健室に連れてかれました。
そして保健室の先生に事の発端をすべてはなしました。
それを、後ろでknちゃんもmonちゃんが探偵みたいに聞いていました。
わたしはそれに気づいてましたが、話さないとムリだから話しました。
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次の日、わたしの机に泣き虫女きもいよ。死んで。もう学校来んなって書かれていました。誰が書いたのかはわかっていて、私は性格がほんとにわるいからそれをわざと残しました。
その日、休憩時間、担任の近藤先生に呼ばれました。「あなたねー性格わるいわよ。knちゃんとmonちゃんの良くない噂ながしたのあなたでしょー」と言われました。意味がわからない。と思い、流してないです。と言ったら、monちゃんが「◯◯ちゃんがみんなにわたしとknちゃんは性格わるい、くそ女って言って歩いてます。たすけてください。」と言われたと言われて、言ってないですとちゃんと言いました。
そして、出席簿の角で頭をたくさん殴られました。
そしたら、わたしが内向的な性格をいい事に、もう面倒くさいから、二人と、あなたが噂をながしたであろうみんなを呼んだから謝ってとゲストよびました!どうぞー!みたいな感じで、たくさん物置部屋に人がきました。
そして近藤体罰先生はわたしに、「時間ないからひとりひとり丁寧に謝ってくれる?」と言いました。わたしは謝りました。
次の日、わたしの机はきれいに拭かれてました。
その代わりみんなの無視がはじまりました。
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わたしの自傷行為は有名になりあるすこしだけ不良な先輩に呼ばれました。
「これからわたしたちとあそぼ」
その言葉が嬉しくて、その先輩たちとつるみました。
その中には不良の同学年の子もいました。
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knちゃんは家族ぐるみで仲がよかったため、お母さんと気まずくなりました。また、あんなデタラメを平気でながすknちゃんは、大好きだったのに、平気で大嫌いになれました。一緒にとったプリクラも、いろんなお土産や石も、指輪やネックレスや交換したシルバニアのぬいぐるみも学校の庭にわかりやすく捨てました。
でもスッキリはしませんでした。
また、knちゃんが言い放った「monちゃんと"親友"になった」「◯◯ ちゃんと"友達"やめる」が忘れられなくなり、トモダチ…シンユウ…ナニ?とありがたいことにそう成りました。
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おはよ
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エスカレーター式の中学校にあがると、不良先輩は学校を休みがちになり、わたしは逆に学校に行きました。
近藤体罰先生はさいごまで、近藤体罰先生で安心しました。
近藤体罰先生。ありがとう。死んでね。
卒業式では泣くふりをして、お父さんはきしょいほど仮面で、お母さんは相談にものってくれてたからほんとに喜んでるように見えて嬉しかったです。(この時はまだ自傷を知らない)
不良先輩ルートで出会った不良同級生kちゃんも休みがちで、家を知ってたから心配して給食のパンやデザートを持ってよく遊びに行っていました。
kちゃんは自傷仲間でした。
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kちゃんはリスカをよく自慢してました。わたしのほうがひどいけど?と内心思っていたけど心配してあげてました。だってトモダチになってくれることがうれしかったからこれが途切れることがトラウマだったから、またひとりになるのがこわかったからです。
kちゃんには手下みたいなこがいっぱいいました。
わたしはその中のひとりでした。
kちゃんはわたしといるの楽しいと言ってやさしくしてくれました。
ですが他の手下にはわたしはたぶんきらわれていました。
だからいつもふたりきりを狙ってました(友達として好き)。
ついったーでよく見る3人であそんだり4人であそんだり、わかる。わたしもそれ嫌い、
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