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(・ω・)←八王子のキンタマと戯れるスレ-2
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829
>>826
横からだけど仏教だと現世は修行の場で試練を与えるのが神で、物欲とかあらゆる幸せを与えるのは第六天魔王とかって悪なんじゃなかった?
たから信長は敢えて第六天魔王を名乗ったとか
830
826を自分で書いていうのもなんですが、慈悲の心がないからこの世は地獄のような戦争が起こるし、慈悲の心がないから苦しんでしまい、慈悲の心を持てば心穏やかに幸福感を持って生きられるような気もしますが、自分は慈悲に満たされていても自分の周りで戦争が起こったり殺人ウイルスがばら撒かれたりすれば慈悲の心に満たされた人もまた惨殺されてしまうので自分だけ良い状態でいても不幸は逃れられない。なんだかなあ…と思ってしまう
831
>>829
もしその世界観が正しいのなら人間はもう絶望だと思う。人間は罰ゲームをやらされているのと同じであり人間にとって世界とは地獄に他ならない。
832
>>826
それはですね。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、その他、もろもろ、この世にあるすべての宗教の疑問なんだと思いますよ。
神が愛ならば、仏が愛ならば、なぜ、紛争や戦争や病があるのか苦しみがあるのか?根元的な疑問に突き当たってしまうのです。
キリスト教神学なんか、わりとしつこく考えてますね。難しすぎて読んでもわかんないけど。
結局ね。屁理屈になってしまうんですよ。だって考えても解決しないから。
この点に関してはですね。ひろさちやさんは仏は慈しむことしかできない。人々が仏性にめざめないで欲望のかぎりをつくしてることにこころを傷めている。人々を愛している、慈しんでくださってるというのです。
(・ω・)
833
>>832
仏の教えに人々が目覚めれば戦争などなくなる。人が互いに喜びわかち愛しあえる至福の日が来るのです。いつくるかわからないけど。
ユダヤ教のラビが書いた本も読んだことがあります。ユダヤ教の神はヤーベですけどね。本を書いたラビの個人的見解だと思いますが、ひろさちやとおなじようなことを言ってます。神の手にあまることもある。神はなにもしないのではない。神の手の届かないこともある。しかし、神は私たちを愛してくれている。神の愛を信じなさい。私たちも神の愛を広めましょう。こんな感じだったかな。
とゆうことなんです。お父さんがなんでもやってくれるわけではないのです。私たちが仏や神の愛を目指さなければならいのです。仏の慈愛に満ちた仏国土、神の愛に満ちた楽園、地上の天国をつくるのです。人間の側の問題なんですよ。
理論的には、こうならざるをえないですね。はい。
(・ω・)
834
>>833
あなたが書いたことが言っていることは分かりました
その仏や神様の「思い」は昔からの仏教徒やひろさちやさんやユダヤ教徒がイメージあるいは期待しているものでしかないと思う。
全ての人間が仏教の真理を悟るなんてことは永遠にないのでこの世(この世の一部分というべきか)の終わりまで地獄だということになると思う。
835
(・ω・)さんは芥川龍之介さんの『蜘蛛の糸』という作品を読んでどう思いました?
私はこの作品を高校生の時の読書感想文の課題で読まされたのですが、下界を見下ろして偉そうにしているお釈迦様に腹が立ったのを覚えています。
それでこの作品をボロクソにけなした感想文を書きました。
細い蜘蛛の糸なのに「さあみんなでこれで登りましょうよ」なんていう人がいたら今のホスラブ言葉で表現するなら「アタオカ」だと思いました。
836
登る→正しくは昇るかな
837
真言宗のお寺にお墓があるんですが、お通夜とか初七日とかお盆とか料金が決まってます。
母方の親戚に話したら、普通はお気持ちでと一万円でも嫌な顔せずお経読んでくれるそうです。
お盆にそんなに払えませんと言ったら、お墓閉めますか?と言われたので、びっくりしました。
宗派で料金違うものなのですか?
838
>>834
話は簡単なんですよ。
教えなんかどうでもいいんです。
愛しあってるか〜い
忌野清志郎
愛してま〜す
棚橋弘至
ここを目指せばいいんです。
みんなで愛しあおう
みんなでわかちあおう。
目指すのはここです。そんな日は永遠に来ないかもしれない。でも、目指したほうがいいでしょう。
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