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うちの猫がいちばんかわいい-5
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猫の親バカスレ
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進学校とは言えぬ地元の高校に入った弟は万引きやタバコ、バイク運転を見つかり、繰り返し停学を食らった。1学年上の尾崎豊も似たような理由で青山学院高等部を停学になった。この1983(昭和58)年の流行語が非行少女の家庭崩壊を描いた「積木くずし」だった。
豊の母親は、積木くずしに関わったカウンセラーに直接、相談をしている。だが、私の弟の場合と同じく、教科書的な上から目線の助言が功を奏することはなかった。豊は停学期間に書き溜めた歌を引っ提げて、現役高校生アーティストとしてその年の暮れにデビューした。
コロナ禍になるずいぶん前のこと。カラオケで弟の歌ったのがサードアルバム「壊れた扉から」収録の「Forget-me-not」。尾崎が20歳になる前日ぎりぎりに作った名曲だ。
♪君がおしえてくれた 花の名前は 街にうもれそうな 小さなわすれな草♪
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野音ライブ、「飛び降り、骨折しつつ」叫び歌った……
尾崎豊の名を一躍とどろかせたのが、1984(昭和59)年8月の日比谷野外音楽堂でのライブだ。「アトミック・カフェ」の名で反核がテーマの音楽フェスティバル。半年前に出したファーストアルバムが二千枚程度だったので、まだ無名に近かった尾崎は演奏の途中、高さ7メートルの足場から飛び降り、足を骨折する。それでも、メンバーの肩車に乗って、♪自由って いったい なんだい♪と叫んだ。
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当時、私は新聞社に入ったばかりで、東京社会部での研修中だった。尾崎のこの事件は全く記憶にない。その後下町の警察担当となり、記者クラブで他の新聞、テレビ、通信社の先輩記者にもまれて取材力を磨いた。そこで一緒だったのが共同通信の西山明だった。
普段は記者クラブの畳に寝転がっていた西山は、福島原発を早くから取材し、一冊の本にまとめていた(『原発症候群』批評社)。その西山が、「10代の教祖」として社会現象化している尾崎豊を取材しているという話を、別の先輩記者から聞いた。
残念ながらその経緯を本人から聴き出す前に、西山は病気で帰らぬ人となった。
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沢木耕太郎との「歴史的対談」
尾崎をめぐる人のつながりは、思わぬところで見つかる。
西山と同じ大学で同期だったというノンフィクションライター沢木耕太郎が、尾崎豊と対談している(「月刊カドカワ」1991年第2号)。
1989(平成元)年、尾崎に長男裕哉(ひろや)が生まれた。翌年に5枚目アルバム「誕生」がリリースされ、対談は行われた。
沢木は、7歳の娘がアルバムの一曲「COOKIE」の一節♪おいらのためにクッキーを焼いてくれ♪を一回聴いただけで覚えて歌ったエピソードを紹介し、「言葉が溢(あふ)れてるけれども、言葉がしっかり伝わるよね。娘が歌詞を間違えないで歌えたのもそのせい」と称賛した。
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一方で、対談4年前のニューヨークへの渡米後、所属音楽事務所の移転問題でごたごたし、覚醒剤取締法違反で逮捕後に出た4枚目アルバム「街路樹」については、「作るのが厳しかったんじゃないかな」とストレートにぶつけた。
これに対し尾崎が「NYにある退廃的なもの──ドラッグにしてもそうだし、犯罪にしてもそうだけど──そういうものに対応していく自分を歌いたかった」「あの時点で僕は何かにつまずいているんですよ。それに気づきながら歌っていることに意味がある」と答えたのが印象に残る。
対談の後半で、話題は歌い手と聴衆の関係に及んだ。尾崎はこういった。
「僕が幸せになるには他人も幸せでなくてはならない」
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これを読んで即座に浮かんだのが、宮沢賢治の言葉だ。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
両者に共通しているテーマは明らかだろう。個人と集団(共同体)との関係。宮沢賢治を敬愛した評論家吉本隆明の『共同幻想論』は、まさにそこを理論化して結実した著作だ。
ここでも尾崎とのつながりは途絶えない。尾崎と吉本を結んだのが音楽プロデューサーの須藤晃だった。
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後編
4月25日は、「卒業」「十七歳の地図」などの名曲で80年代に熱狂的なファンを醸成したロック歌手尾崎豊の31回忌だ。
死後30年が過ぎてなお支持される尾崎だが、最近ではTikTok上で、「15の夜」の中盤「盗んだバイクで〜」のくだりをTikTokerが踊る投稿が中高生の間でバズるという現象も話題になっている。
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浜田省吾の名プロデューサーが担当
尾崎と吉本隆明を結んだ音楽プロデューサー、須藤晃は、東京大学を出てCBS・ソニー(当時)に入り、尾崎が好きだった浜田省吾らをプロデュースしてきた。尾崎がまだ16歳の時オーディションを受けた同社で、須藤が尾崎担当となったことが、尾崎の将来を方向づけた。
須藤は当初、尾崎の「まるで人生を悟ったかのような硬直した詞が気に入らなかった」(『尾崎豊覚え書き』)。
私には、父から学んだ短歌や勉強に励む兄の姿、そして家族で食卓を囲みながら、口角泡を飛ばし哲学を語り合う尾崎家の様子が目に浮かぶ。尾崎はそれらをバックボーンに作詞したに違いない。その証拠に、ファーストアルバムの歌詞中4曲で、「体」の字のかわりに、父に教わった躰道の「躰」を使っている。
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自分自身を見つめさせるため、須藤は音楽の話はあまりせずに尾崎の日常を訊いた。
「今どんな本読んでいるの?」と聞くと、カバンからエーリッヒ・フロムの『愛するということ』を取り出し」た。(同書)
フロムは新フロイト学派の精神分析家、社会学者だ。1956年に書かれた「愛するということ」は恋愛のハウツー本ではなく、「愛は『成熟した大人』だけが経験できるものであり、本当の愛を体験するためには、愛とはいかなるものかを深く学び、愛するための技術を習得する必要がある」ことをしめした哲学書だ。「『愛される』ことよりも『愛する』ことのほうがずっと重要」と説く人生の指南書でもある(鈴木晶『フロム 愛するということ(100分de名著)』(2014年、NHK出版刊)。
私も法学部時代、尾崎の兄と机を並べたかもしれぬ講義室で、フロムの著書『自由からの逃走』を読んでいた。
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全曲の歌詞中「自由」は30回、「愛」は182回
尾崎は斃れるまでに6枚のオリジナルアルバム計71曲を紡いだ。メロディーより「詞先」と呼ばれるほど過剰な歌詞を分析した下河辺美知子によると、全曲中「自由」は30回、「愛」は182回出てくる。
「愛」は尾崎にとって終生離れられぬテーマとなった。
強烈な上昇志向を持ち、常に自分を変革したいと願う尾崎にとって、13歳年上の教養人須藤はかっこうの教師だった。須藤は尾崎に、のちにノーベル文学賞を獲るボブ・ディランの詩や、ギンズバーグ、ヘッセ、ジャック・ロンドンらの本を薦めた。その中に、吉本隆明があったという。
アルバム「誕生」の冒頭で歌う「LOVE WAY」の♪真実なんてそれは共同条理の原理の嘘♪は、明らかに吉本の『共同幻想論』の影響を受けており、難解だ。
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