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キュウちゃんと語ろう300
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アホ相手にすんの疲れるわw
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>>600
確かにスポメンなんてテメェみてぇなクズしかいないんだろうから、恐れるにたりず、だわな😃
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>>602
『大阪スポーツメンズクラブとか金毘羅温泉内では序列は存在しません』
↑
つまり、リアルでもネットでもクッソミソにボコられる伊藤仁視にとっては、ハッテンバが唯一の安寧の場所、ってこったな(爆)
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と、ゆ〜コトで、七戸十和田から新幹線乗車🚄🚶
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知らん人間が見たら、只の盛り土の山にしか見えないだろうが、1997年春に廃止(正確に言えばキュウ止、正式廃止は2002年)された
“南部縦貫鉄道”
の遺構、中野駅南方で中野川を渡る築庭と橋台の跡
経済的に立ち遅れたト〜ホグ地方の振興を図ろうとした国策会社【東北開発】が、下北半島のむつ市に建設が予定された製鉄所で、この地域で産出する砂鉄を原料に製鉄、銑鉄を行う計画していたコトから、砂鉄の輸送と合わせてト〜ホグ本線のルートから外れ発展から取り残されていた野辺地以南の奥州街道沿道地域の発展を目論み、沿線及び周辺自治体の出資で設立、建設された
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橋梁の反対側の築堤
しかし、先の東北開発の出資もあって戦後も戦後、1962年にト〜ホグ本線との接続駅西千曳から七戸まで開業に漕ぎ着けたものの、輸入鉄鉱石の価格下落により、砂鉄を原料に製鉄をとの計画は完全に頓挫、収益の柱と見込んでいた貨物収入は夢と消え、並行して通る国道4号線(奥州街道)を青森や八戸に直通するバスが走っていたコトから旅客収入も見込めず経営は行き詰まり、開業僅か4年の1966年に会社更生法の適用を受けるコトとなった
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>>618>>619の写真の位置
図のBの場所
鉄道事業だけでは経営は成り立たず、株主である沿線自治体から清掃事業や学校キュウ食調理や配送を受託、また、鉄道と平行して営業していたタクシー(縦貫タクシー)の収益で存続していた
その後、ト〜ホグ新幹線🚄青森延伸ルートが終点の七戸駅直近で路線と交差するコトから、新幹線アクセス鉄道への脱皮を夢見て運行されて来たが、トドメを刺したのも皮肉にもト〜ホグ新幹線青森延伸が原因であった
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開通当時の、始発駅の西千曳駅(当時は千曳駅)を含む国鉄ト〜ホグ本線の前後の区間が、路線改良によって東側に新線が建設され、それを機に西千曳駅から野辺地駅までのト〜ホグ本線キュウ線の路盤・線路を借り受け、南部縦貫線として運行していた。
しかし、ト〜ホグ新幹線延伸に絡んで、並行在来線がJRから切り離されるコトに伴い、キュウ国鉄資産を管理する日本国有鉄道清算事業団から路盤の買取を求められた。
その買取費用を捻出できず、やむを得ず1997年に運行キュウ止。近い将来の新幹線延伸時に新幹線フィーダー路線としての復活を夢見て沿線自治体が路盤の購入を行ったものの、キュウ止後の路線設備の劣化老朽化の進行が著しく、運行再開は不可能と判断され、新幹線延伸を前に力尽きた。
図にある現ト〜ホグ本線千曳駅からFの縦貫線西千曳駅までの青い点線が路線改良前のト〜ホグ本線キュウ線、Fから@の野辺地駅までの赤点線が国鉄から借用して縦貫線として運行していた路盤
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おーほっほっほっほー!😲
やっとるなー!ひとしー!😠
かまってもらっとるー!😠
おーほっほっほっほー!😲
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野辺地駅で雪の中で発車を待つ、現役時の南部縦貫線レールバス
開業時に導入され、廃止(運キュウ)時まで35年走り続けた
バスの名の通り、変速機は機械式(シフトレバーとクラッチを有するマニュアルミッション)
幸いなコトに、廃止時に残っていた縦貫線の全車両は七戸駅に併設されている機関庫に保存されている
有志の手によって整備され、イベント時に駅構内の僅かな線路🛤️上を走行する姿を今でも見るコトができる
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