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エンタメのひろば37
【人間発電所】
元祖ニューヨークの帝王ブルーノ・サンマルチノの異名。
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WWEがまだWWWF(スリー・ダブリュー・エフ)だった時代のアイコン的存在。
米国内でのブルーノ・サンマルチノのニックネームは「パワーハウス」だが、これを単に「力持ち」ではなく「人間発電所」と和訳した当時のプロレス記者のセンスに脱帽だ。
米マットで売れっ子だったため、来日数が少ない超大物。
若手時代、米国修行中だったジャイアント馬場と仲良くなり、その友情は馬場が亡くなるまで続いた。
お互いにトップ選手に成長後、日本プロレスへの来日時に再会。
小さめの国産車に乗っている馬場が窮屈に見えたとかで、帰国するや大型のキャデラックを輸送費込みでプレゼントしてきたというエピソードも残っている。
(・_・)
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■やはり戦争を知っているか知らないかで違いますか?
田原総一朗
◆違う。それはもう決定的に違う。
■国が決めたことに対して簡単に順応していく状況というのは、田原さんから見たら危機的状況ですか?
◆危機的状況かどうかはわかんないけど、たとえば自由民主党っていうのができたのは1955年です。
そのときの総理は鳩山一郎さん。
その前の1954年に自衛隊ができた。
だから自由民主党の公約っていうのは憲法改正なんですよ。
憲法と自衛隊は矛盾していると、だから変えなきゃいけない。
ところがそれから60年以上、自民党は憲法改正しなかった。
なぜだと思う?
■なぜですか。
日本人には合わないからですか?
(・_・)
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>>2
私が考える理由、、
@国会で2/3の勢力がなく改正の発議ができなかった。
A党内に右から左まで様々な議員がいてまとまらず、時の総理や幹事長も積極的でなかった。
B平和な時代で世論は経済政策に傾いていて憲法改正は票にならなかった。
C憲法は不磨の大典と皆が勘違いしていた。
、、こんなところでしょうか。
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>>2
私が考える理由、、
@国会で2/3の勢力がなく改正の発議ができなかった。
A党内に右から左まで様々な議員がいてまとまらず、時の総理や幹事長も積極的でなかった。
B平和な時代で世論は経済政策に傾いていて憲法改正は票にならなかった。
C憲法は不磨の大典と皆が勘違いしていた。
、、こんなところでしょうか。
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田原総一朗
◆うん。つまりね、憲法を改正しないほうがいいと思った。
それはなぜか?
宮澤喜一さんがボクに言った。
「日本人は自分の身体に合わせた洋服を作るのが下手だ。しかし押しつけられた洋服に身体を合わせるのはうまい」と。
つまり憲法のことを言ってるんだね。
■なるほど。
◆竹下登さんと話したときに、「自衛隊は全然戦えない軍隊だ。それでいいのか?」と。
そうしたら竹下さんが言った。
「だからいいんだよ」と。「軍隊は戦えば戦えちゃう。戦えないから平和なんだ」と。
■戦えないから平和。
(・_・ノ)ノ
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そういゃあ前スレでロズウェルはポーゴの事をかいていたな。
ありがとう。
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◆うん。
小泉純一郎さんが首相のときにね、自民党の幹事長だった山崎拓さんが、「そろそろ憲法改正しないといけない。憲法草案を作ろうじゃないか」と。
で、憲法改正草案を作ったわけです。
それで「さあ、小泉さん。憲法改正を打ち出そう」と、そしたら小泉さんは「郵政民営化が先だ」と言った。
で、山崎さんからボクに電話がかかってきた。
「小泉のヤロウに逃げられた」と。
つまりね、みんな戦争は嫌なんです。
とくに戦争を知ってる世代はね。
■はい。
(・_・)
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>>7
先の戦争を肌で感じた日本人は年々減少し、国内の経済情勢や先行きも年々不透明感が増している。ましてや、日本をとりまく東アジアの状況も中国の軍事大国化、北朝鮮の核武装化、米国の影響力の低下など、国内外の環境は著しく変化した。
要は、暮らす人間も環境も劇的に変化したわけです。その環境に身の丈を合わして生き延びようと今の日本必死にもがいているのです。その頂点が憲法とも言えるでしょう。
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米国からもらった憲法をなんとか合わせて着続けたけれど、身体は成長し、年をとって横にも広がり、全く体に合わなくボロも目立って来た。気候も変わり、このまま着続けるのは困難だ。補正するのも難しい、できれば一着、身の丈に合ったものを新調したい。
、、、まぁごく自然な発想でしょう。
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