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左翼は偽善者、保守派は正義

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だよね?

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去就に迷った大平は相談のため目白の田中邸に行って留守なのだ。後にこれは大平が「田中角栄に従属していることを天下に示したもの」としてかなり長い間 物笑いの種となった。
5時近くになってやっと大平と会えた。
「今日は日曜日で夕刊がない。明日の新聞を見て ゆっくり今後の行動を考えよう」
私がこういうと 大平は急に生き生きとなって
「これから家へ帰る。君もぜひ同行してくれ」
という。夕食を共にした後 帰ろうとすると
「まだ残れ、もっといてくれ」
といって許さなかった。別室で電話を受けていた大平が私のそばにきて
「二階堂と鈴木が党役員を降りたいといってきかない。決心は固いようだ。今日のところは中止させたが 明日は二人とも党役員を降りるだろう」
といった。大平はなんとしても中止させたかったのだろう。
なぜ二階堂はやめねばならないのか。まして鈴木はどうしてやめるのだろう。私は池田総理が病気で退陣した時、官房長官の鈴木だけが身をひき 他の宏池会の閣僚は残留したことを思い出して「鈴木善幸らしいな」と思った。だが田中角栄の退陣に殉じる二階堂と同じように、どうして鈴木が田中に殉じるのだろうか。

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池田に対する忠誠心と同じようなものを鈴木は田中に感じているのか。「妙なことをするものだ」と私は思った。
夜中の11時頃、瀬田の大平邸へ島記者と久保記者それに佐々木義武が来た。
佐々木は「分裂してもいい。われわれは独自の行動をとろう」といい、島記者は「兵を引け」といった。私が「筋は通せ」というと、珍しく島は「疝気筋では困る。明日の朝刊は大勢 三木総裁へとなっている」とはっきり反対論を述べた。大平は黙して語らない。
「われわれの総裁公選論は機関でことを決定せよ という原則に立っている。総務会という機関で公選の賛否をとり否決されれば兵を引け」
私はこういって帰宅した。疲れた。宏池会の敗色は濃い。
翌朝の朝刊は各社一斉に「三木総裁へ」と大見出しをつけて報じた。これで大勢は決した。椎名裁定を世論もまた支持したのだ。
宏池会でこの日の午後 大平に会うと
「昨夜 君と別れて 按摩をとって寝た。今朝は頭から足までスーッと走って すっきりした。あれが『捨てる』ということか」
という。「その通りだ」と私はいった。
「これでおれも田中角栄のヘドロを背負わずにすむ」と大平は思ったのかもしれない。

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田中角栄という政治家に対する私の評価は今でも変わらない。彼は首相になっても、あるいは辞めた後でも「宰相学」をついに身につけることができなかった男だと思う。しかし政界の権謀術数の中で戦って勝ち抜く覇者への道「覇道」は見事なものであった。首相の座を射止め、そこに座っただけのものはあったという感懐は残る。
私は最近、角さんの娘の田中眞紀子氏から「父の回想録を出すので原稿を書いて下さい」と頼まれた。私は角さんとは政治家として深い付き合いはなかったので、この依頼は意外だった。事情を聞くと「父が首相を辞めた日にうちに来たお客さんは、それまで一度も来たことがない山中先生だけだったので、娘としてぜひ思い出を書いていただきたい」ということだった。
そう言われて私には、あの時の記憶がよみがえってきた。私は中曽根康弘氏に「今まで一緒に手を組んできた角さんに『今度は三木武夫と組むからあしからず』とあいさつすべきだ」と言うと、中曽根氏は「君が行ってくれないか」と言う。私はいったんは断ったが、ほかの人では「中曽根の代理」というわけにはいかないと説得された。

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角さんに電話すると「おお、うちに来てくれるか。じゃあオールドパーと料理を用意して待っているから、すぐ来いよ」と言う。
渋滞で遅れたが「こっちだ、こっちだ」と下駄をはいた角さんが戸を開けてくれた。
「飲んで寝ようかと思っていたが、君が来るというから飲まずに待っていた」
「おれは酒をやめて何年にもなるから飲まぬよ」
「そう言うな。今日は角栄のために飲んでくれよ」
「そうだな。男一匹、雪深き国から笈を負って上京し、官邸の主になって去る。感無量だろう。この屋敷から何から国か都に寄付して新潟に帰ったらどうだ」
「君、この土地は何も理不尽なことをして買ったわけじゃないよ」
「いや 今日はそんなことを言いに来たわけじゃない。中曽根があなたと別れて今度、三木と組むというから仁義を切りに来た」
「いや それはいいよ。不肖角栄も応援する」
私は糖尿病で禁酒をしていたが 結局「飲む以上は徹底的に飲まないといけない」と言って二時間で二人でオールドパー二本を空けてしまった。
誰も訪れる人のいないその日の田中邸で 一度も来たことがない山中という男が父親と痛飲している光景は、眞紀子氏にも鮮烈な記憶として残ったのだろう。

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三木内閣

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昭和49年12月9日、三木内閣は成立した。

首相― 三木武夫、副総理・経済企画庁長官― 福田赳夫、法相― 稲葉修、外相― 宮沢喜一、蔵相― 大平正芳(留任)、文相― 永井道雄(無議席)、厚相― 田中正巳、農相― 安倍晋太郎、通産相― 河本敏夫、運輸相― 木村睦男、郵政相― 村上勇、労相― 長谷川峻、建設相― 仮谷忠男、自治相・国家公安委員長・北海道開発庁長官― 福田一(留任)、官房長官― 井出一太郎、総務長官・沖縄開発庁長官― 植木光教、行政管理庁長官― 松沢雄蔵、防衛庁長官― 坂田道太、科学技術庁長官― 佐々木義武、環境庁長官― 小沢辰男、国土庁長官― 金丸信

のち建設相に竹下登

副総裁― 椎名悦三郎(留任、椎名派)、幹事長― 中曽根康弘(中曽根派)、総務会長― 灘尾弘吉(無派閥)、政調会長― 松野頼三(福田派)

この内閣では大平蔵相、福田一自治相が再任。小沢建設相が環境庁に異動した。閣僚20名中、経験者12名、新人7名、非議員1名である。

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三閣僚辞任で田中内閣の命脈は尽きようとしていたが 秋になって金脈問題などをきっかけに田中総理が11月26日、退陣を表明した。さて後をどうするかの問題が浮上した。私の周辺では私が後を引き継ぐのが当然ではないかと考えていたようだったが、私は党内情勢を分析しながら事態はそう楽観できないと感じていた。幾度か党内の実力者会談がもたれたものの 話し合いは前進せず、30日 椎名悦三郎副総裁、私、三木さん、大平正芳君、中曽根康弘君の五者会談が持たれ 12月1日午前10時過ぎ党本部で椎名さんが「神に祈るような気持ち」で「三木武夫氏を後継総裁に指名する」旨の裁定文を読み上げた。私は事前に裁定の内容を知っており直ちに了承したが、大平君は「ちょっと考えさせてほしい」と言って席を立った。田中氏の意見を聞いて ということだったようだ。
椎名裁定に至る過程で私は「福田― 大平関係」という非常にデリケートな問題を抱えていた。色々 中に入ってくれる人がいた。渋谷に豪邸を持っている人物がいてその人が永野重雄日商会頭と大変懇意だったので 11月末の某日 朝6時にその豪邸で福田、大平、永野の三人は会談した。

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家を出る時はまだ暗かった。握り飯のようなものをほおばりながら会談したが、話はまとまらなかった。永野さんは大平君を説得する腹だった。この種の会談が何度かもたれたが結局話し合いはつかなかった。二人の問題を決着させ福田の方が先だと決めておけば、椎名裁定― 三木内閣誕生はなかったと思う。
さて椎名裁定後、三木さんから「ああいう裁定が下った以上誠心誠意責任を果たしたい。福田君との共同内閣のつもりであり、経済はすべて任せる」という話があり、三木内閣では副総理・経済企画庁長官に就任し、直ちに私を議長とする経済関係閣僚会議を設置し経済問題は一任された格好となった。
三木総理はこれまで話題になりながらも手を付けられなかったいくつかの問題を取り上げようとした。話題を呼んだのが社会保障を英国流の「ゆりかごから墓場まで」と同じように充実させようとした「ライフサイクル計画」と独占禁止法を米国並みに強化しようという試みだった。私は相談を受けた時「ライフサイクル計画は大規模な増税なしにはできないが、石油ショックで痛めつけられた日本経済の現状で打ち出すのは慎重を要する」と答えた。

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12月4日、両院議員総会で三木新総裁が正式に承認され 12月9日、首班指名で総理となった。
この9日 朝8時半頃、会社へ出たら家内からの連絡で “瀬田” に電話せよ という。大平に電話すると「どう思うか」といった。
〈大平大蔵大臣説が固まりつつある〉という新聞記事があったのを思い出したので 次のように述べた。
「あなたにとって一番いいものを と願い通してきた。こういう時は出てきたものがそのまま “おかげ” だと思う。蔵相を引き受けてよい。だがあなたは孤立無援の蔵相だということを覚えておいてほしい。三木首相は頼りにならない。福田は邪魔するだろう。総務会もあなたに反対なら 政調会も協力はしてくれまい。ただし この中で蔵相をやり抜いたら あなたの力はつくと思う」
この日、私はなぜか椎名・大平会談のことを思い出していた。どうして椎名は自分の暫定総裁を大平に提案したのだろう。おかしな話だ。他の実力者との会談ではこういう提案はしていない。椎名は自分が病身であることを熟知しつつ このような提案をしているのも解せない。第一、椎名は三人の実力者に対して行司役を務めるはずではないか。

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その行司が自分も褌を締めて一緒に相撲を取ろうとはどういうことか。もともと椎名は権力欲で行動するような男じゃないはずだ。
大平が椎名の提案を断ると その日のうちに椎名が「三木を後継者とする」と流したのも妙だ。大平はあの時、完全にツンボ桟敷であった。椎名は自分に野心がないことを証明するために いち早く三木の名を流したのではないか。それにしても椎名は一貫して「大平の可能性はない」といい通している。大平でなければ誰だったのか。第一に椎名であり、第二に三木ではなかったのか。それに今回に限り田中角栄の考えが一切表に出てこないのはおかしい。三木総裁について田中はどう思っているのか。
次々に疑問がわいてきて私にはひっかかることばかりだ。

半年ほどして私は萩原記者(東京新聞論説委員)と会ったとき重大なヒントを受けた。
「田中角栄は椎名を暫定総理総裁に考えていて、そのことを河野参院議長にあらかじめ耳うちしていた」
というのだ。
そういえば田中首相はニュージーランド、豪州、ビルマ三国の歴訪の前、前尾繁三郎衆院議長、河野謙三参院議長を訪ね「留守中のことをよろしく」と頼んだことがある。

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