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左翼は偽善者、保守派は正義

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だよね?

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前尾には大平との関係があるため何もいわなかったが、田中は河野議長には「次期総裁は指名にする」と述べたという。私はこの時〈ありそうな話ではあるが本当だろうか。大平と田中との間にはもっと深いものがあるはずだ〉と思って にわかには信じなかった。
だが時がたち 事実の重みが感じられるにつれて、この田中の構想が徐々に大きな比重を占め 心の中にどっかりと盤踞しはじめた。
私はこの立場から全政局を改めて見直す気持ちになっていった。

新しい政権ができると各領袖は
「この政権の権力の中心は誰なのだろう。自分はいったいどういう位置にあるのだろうか」
とよくよくあたりを見回すものだ。これは主流派と反主流派とを問わない。
田中は金権体質を衝かれて退陣した。問題が問題だけに党は一時ひどい混迷に陥って 出口がわからなくなった。このとき突如として “クリーン三木” が登場し 党の危機を救った形だ。
最小派閥のリーダーで長い間傍流にいただけに 汚職の恐れはまず皆無だ。その上、保守党政治家の中でも珍しいほどの近代的なセンスの持ち主だという。世人はまたもや歓呼してこれを迎えた。三木内閣はさい先のよい船出をしたことになる。

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だが最高の権力者が三木首相であるかどうかについては疑問があった。党の内外を問わず 人々はこの三木首相を実現した仕掛人が椎名副総裁であることを知っているからだ。
「福田か大平か」「公選か話し合いか」と手に汗を握って凝視していた観客を前にして「総裁公選の泥仕合はごめんだ。今度こそ話し合いできれいに後継総裁を決めよう」と舞台の中央に踊り出て、あっという間に裁定によって事を決した椎名の名前は、時がたつにつれて ますます権威をもってきた。
一番感謝したのは もちろん三木首相だ。当然 椎名に対する敬意は深まる。福田も大平も内心おもしろくないのだが 党内が三木を是認し 世間がこれを承認する以上、うかつに手は出せない。しばらくの間はかしこまって 現体制に従うより外に道はなかった。
政局が落ち着きを取り戻し 日々の行政が円滑に進められると三木内閣の権威もジワジワと生まれてくる。こうなると三木が遠慮する椎名の声望は加速度的に高まる。人々は三木の動きの背後に絶えず椎名の影を探し求めるようになるからだ。これがまた椎名の価値を高める。事情通はこの体制を椎名院政と陰口をきくようになっていった。

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>>0
偽善者ではなくて日本の転覆を企む反日工作員

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内閣の閣僚の中で総理大臣は常に他の人より一段上のものとして振る舞うことになっている。これが内閣制度の核心だ。ところが つい数日前まで同僚として行動してきた三木首相は どうしても気後れがでる。話し合いによる総理はこういった悲哀がつきまとうものだ。公選による総理総裁の場合は “多数を獲得して勝った” という自信が総理の権威を裏づけてくれる。
三木内閣が発足した翌日の12月10日、大平蔵相に会うと
「三木はおれをつかまえて、閣議の後 残ってくれ、いつもおれのそばで話してくれ、といった。おれは森永貞一郎の日銀総裁を三木にのました」
といって まずまずの心境を述べた。また
「福田はあまり政策をはっきり打ち出さないでほしいといった」
と付言した。
「なんとかやれそうだ」と大平は内心思ったに違いない。だが一週間、十日とたち 来年度予算案の編成が本格化してゆくと、経企庁と大蔵省主計局の利害が対立し 大福の間に早くもきしみが現れる。早い話「公共料金を上げるか上げないか」で もう問題が出てきた。
石油ショック後の長期不況で 公共企業体は料金を上げないと経営が立ちゆかない。

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料金を抑えると上げなかった分だけ財政(税金)がこれを負担しなければならぬ。財源には限りがあるから そうそう面倒はみきれない。そこで値上げを考える。家計は圧迫されるし物価は押し上げられる。そこで経企庁長官の福田は苦い顔となる。福田と大平は衝突せざるを得ない。

年末になって私は “田中に近い筋” と会って様子を聞いてみた。
「田中角栄はすっかりやる気を失って『40名程度の同志を守ればいい』という心境だ。もう一度総選挙を戦うだけの金はある。ただ派閥を維持する金は大平と相談したい気になっている。小佐野は田中から逃げるつもりではないか」
と事情を説明してくれた。あの田中が「そんなことまで考えているのか」と私は今昔の感に堪えなかった。
私もだんだん弱気になっていった。前回公選時には私は片手間の動きしかしなかった。今度は本格的に取り組もうと思っていたら途中からきれいに外された感じでやり切れなかった。「この先どこまでいっても所詮 駄目ではないか」という思いがして気持ちは落ちこむばかりだ。
暮れから正月にかけて内面的な苦しみは相当なものがあった。
〈私がこうなっている時は大平もきっと何かある〉

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昭和49年に三木内閣が誕生して 私は三木武夫さんから外相になるようにと言われた。「日中を片づけてもらいたい」ということだった。
当時の中国外相は喬冠華という人である。昭和50年9月にニューヨークで日中平和友好条約の交渉をすることにした。中ソ関係が急速に悪化し 中国側はソ連の覇権主義に反対する条文を盛り込むことにこだわった。
喬冠華外相は合意は難しいと思ったのだろう。「無理して条約を急がなくてもいいじゃないか」と言っていた。仕事の話を終え 夕食を共にした。仲秋だったので私が李白の「峨眉山月半輪秋」を話題にすると 彼が「それなら李白の『長安一片月』があるじゃないか」と言い出した。そして自ら歌いながら舞を披露した。このニューヨークの不思議な一夜は鮮明に覚えている。
帰国してから 互いに覇権を求めないというところの表現を私なりにまとめてみたいと思い立った。日本語と中国語だと微妙に漢字が違う。思い切って英語で書いてみた。それを我が国連大使を通じて中国側に渡した。本国には伝わったはずだ。しかし文化大革命で中国国内は混乱を極め、喬冠華その人も消息すら分からなくなってしまった。

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もう一つの懸案は日ソ間の領土交渉だ。こちらの相手はグロムイコだった。昭和26年のサンフランシスコ講和会議で、私はソ連代表だった彼の姿を見ている。思えばこの時から北方領土問題は未解決のまま残っている。
昭和50年1月、平和条約交渉のために私は訪ソし、グロムイコと向き合った。「領土問題はない」とするグロムイコの態度はかたくなで「とにかく現実的にものは考えようじゃないか」の一点張りだった。
共同声明がまとまらない。私はそれができなくても東京に戻ろうと決断した。するとグロムイコが宿舎まで訪ねてきて「共同声明はやはり作ろうじゃないか」という。一緒に車で空港まで行き、飛行機を待たせて、何とか共同声明を発表した。大変な時間をかけたというパフォーマンスが必要だったのだろう。激しい権力闘争を生き抜く知恵なのかと感じ入ったものだ。

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昭和49年12月、田中退陣を受けて椎名副総裁が、当時 次の総裁候補と目された三木、福田、大平そして中曽根の四氏を党本部総裁室に招き 後継についての話し合いが持たれた。若かりし改進党時代、予算委員会で時の吉田茂総理に堂々と切り込んでいたあの「青年将校」中曽根康弘が、総裁選出の話し合いの場に来るようになったのかというのが実感だった。
この場でまず確認されたのは「誰が総裁になっても幹事長は総裁派閥からは出さない」ということ。その後このメンバーの会談は何回か開かれ、また当選回数別の会合や顧問会議なども経て、最終的には三木を後継総裁とし、幹事長には総裁派閥に属さない中曽根が就任という椎名裁定が下された。
中曽根は総裁派閥以外から選ばれた初めての幹事長だった。厳密には鳩山総裁時代の岸幹事長、石橋・池田総裁時代の三木幹事長が他派閥から登用された例があるが、総裁と幹事長は呼吸が通じていなければ党運営ができないので 総裁派閥の “大番頭” が就任するのが常だった。ただ党運営を全党的・超派閥的にする必要から 他派からの起用が必要だったのである。以来これが慣行・不文律になっている。

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金権問題で国民の大きな批判を浴びて退陣に追い込まれた田中の後継選びであったが、表向きは「すんなりと」決着した。ただ党内的には野党的発言が目立ち少数派閥を運営する三木に「是非とも」という空気は薄く、緊急避難的に とりあえず清潔感ある印象の強い三木で乗り切ってもらおう といった思惑が見え隠れしていた。
矜持の高い三木は中曽根幹事長を受け入れた代わりに、自派の石田博英を幹事長代理に お目付役よろしく配した。石田はかつて石橋湛山の参謀として石橋内閣の官房長官を務め、その後47年の公選以後は宇都宮徳馬、山口敏夫らと共に三木派に入会していた。 “大物” のメンツからか 領袖の三木を最大限援護しようという気持ちの表れなのか、やたらと存在感を誇示したがり、マスコミ関係者から「幹事長が二人いるようだ」などと囁かれるほどだった。極めつけは「幹事長代理室」の看板。我々事務局に作成を命じるので違和感を覚えながらもその通りにしたのだが、一ヵ月ほどで案の定「あの看板を外してくれ」ということになった。親しい記者などから「みっともないからやめた方がよい」と忠告されたようだった。

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石田以降も同じようなことをリクエストする幹事長代理が何人かいたが、私はそのたびに この事例を引き合いに出して「先生のためにならないのではないか」と話してきた。「あの石田さんが……」と誰しも驚き、説得力を持って受けとめられたようである。
いずれにしてもこんな具合だったから、 中曽根としても仕事がやりにくかったのではないか。ただでさえ三木、中曽根は少数派閥。参院は保革伯仲の政治状況で、厳しい国会運営を余儀なくされていた。さらに深刻だったのが党財政だ。傍流の三木政権には献金が集まりにくかったのである。
幹事長就任半月後の49年12月24日、中曽根は「党経費節減について」という通達を議員をはじめとする党関係者に出す。「党会計負担による料亭及びホテルにおける会食は一切行わない」ことなどを内容としたもので、私の知る限りこれが最初の節約令だった。その後 これを参考に桜内義雄、田中六助、金丸信、安倍晋太郎の各幹事長が経費節減に対する通達を出している。自民党の財政というと常に潤沢に思われがちだが、決してそうとばかりは言えない実情があった。

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