187 >>182 【「日本」という名前を蝦夷の土地に使っていた例があり、蝦夷の土地の中央であるから「日本中央」であるという説もある。津軽の安藤氏は日之本将軍を自称し、しかもそれが天皇にも認められていた。また、豊臣秀吉の手紙でも奥州を「日本」と表現した例がある。ただこの場合、読みは『ひのもと』となる。日本の国号は最初は「倭」や「大和」であり、蝦夷地を「日本」や「日ノ本」と呼んだが、征夷後に大和は雅名をとって自分の国号とした。このことは『新唐書』『旧唐書』にも記述されている。】 Wikipedia“つぼのいしぶみ”より抜粋 匿名さん2024/09/07 10:54