000
エンタメの広場40
+本文表示
バラエティー生活笑百貨のアシスタント桜稲垣早紀ってかわゆすな〜ノ
[ロド] hRxI7CN54Qr7
959
(・_・)(・_・ ) モリシゲに託されましたか
960
あ〜託されました。
ヽ(ヽ・_・)(・_・ )
961
報道ステーション
坂道を下りられないミニスカ生足女子高生。
両手を引いてやる警察官。
そんなことする必要ある?
(・皿・)
オッサンやオバチャンも助けてやらんか、コラ
962
打撃の真髄 榎本喜八
榎本の打撃フォームは、いわゆるテークバックがほとんどなかった。
「剣術でもさ、両方の剣さばきがあるけどね」
荒川の知識は、広く武芸にも通じている。
「どういうことですか」
「剣を振る時、相手に向かって踏み込むか、踏み込まないかの違いだよ。相手に対して踏み込んでいって斬るというのが、いわば、多くのバッターの打ち方だ。ピッチャーの方へ体重移動しながら踏み込んでバットを振るというね。それに対して、榎本の打ち方は、相手を懐に呼び込んで一瞬の剣さばきで斬り捨てるというヤツだ」
「なるほど、そうですね。ボールに対して踏み込んでいかない。ボールを懐に呼び込んで打つ」
「そう。ボールを待って待って、体の近くに来たところをパコンと打つ」
「ギリギリのところで振る。でも、相手を懐に呼び込むと、それだけ自分も危険ですね」
「その通り。だから、榎本の型が高度とされている」
(・_・)
963
>>962
呼び込んで打つというのは相当なスイングのスピードがないとできない。
落合博満、イチローくらい?
964
シベリア超特急
最後のほうまで観ていくと、この映画が水野晴郎という名の一個の宇宙であることがわかってくる。
それも他人が入ることのできない完全主観宇宙なのだ。
だから水野さんをはじめとしてやたらムチッとした軍服の男たちが現れるし、ぼんちゃんがマックイーンのようにやたら格好よく列車の上でアクションをするのだ。
「水野晴郎作詞」とテロップで表示された主題歌「シベリア超特急」が流れるエンドクレジットを見ながら僕はそう考えていた。
水野さんのやたらりりしいモノクロ軍服写真をバックに「終」マークが出たので、僕は「アレッ、二度のどんでん返しはどうなったの!?」と心の中でつぶやいた。
そのとき!
(・_・)
965
あ〜松井秀喜もそうとうだけど。
(・_・ノ)ノ
966
それにしても分が悪い中で、ドラゴンズはなぜ松井獲りに参戦したのだろう。
まずは親会社の意向。
金沢にあるグループ企業の北陸中日新聞の関係者から、「松井に対するドラゴンズの動きがどうにもにぶい」という情報が加藤オーナーサイドにも届いていたようだ。
地元出身のスター候補選手がドラゴンズへ入ったならば新聞の部数増が見込めるに違いないのに、「スカウト連中は何をやっているのか」と思うのは、当然のことである。
北陸中日新聞の販売戦略上、松井獲りに参戦するのは当然の話だと言えた。
松井獲りに参戦となったら、とりあえず学校へ行って、山下監督に挨拶を済ませておかなければならない。私は早速、金沢へ向かった。
金沢駅に到着し、駅の構内を歩いていると、誰かが私の腕をグイッと引っ張ってくる。
何事かと振り向いたら、そこにダイエーの鈴木スカウトがいた。
「お茶でも行こうや」
(・_・ )ノ(・_・ )
967
『ジャイアント馬場 vs ブルーノ・サンマルチノ』
1972年10月22日/東京・日大講堂
1972年は日本プロレス界の勢力図が激変した年だった。
当時、老舗の日プロは腐敗しており、前年12月には放漫経営に異議を唱えて会社改革に動いたアントニオ猪木が「会社乗っ取りを目論んだクーデターの首謀者」として追放され、この72年3月に新日本プロレスを旗揚げした。
それから4ヵ月後、ジャイアント馬場が日プロに辞表を提出したことを発表すると同時に新団体設立を表明。
実は馬場も猪木の会社改革計画に参加していた。
その過程で猪木の私利私欲を感じて、日プロに残留したものの、日プロの体質にほとほと愛想が尽きていた。
そんな馬場が独立、新団体旗揚げを決断するきっかけになったのは、テレビ放映問題だった。
(・ε・ )
968
(・皿・)(・皿・ ) 松井の顧問に挨拶に向かうと
ダイエーのスカウトマンとはち合わせ
※このスレッドのコメントはこれ以上投稿できません。