それだけに段々と、三木では選挙資金が集まらない、選挙が打てないという気運が 反主流のみならず中間派にも横溢してきております。切実ですよ、これは……」
「中間派が今度はバカに三木おろしに熱心のようだが、そのせいもあるかな」
「水田、船田……みなそうです。そこで今度は先の場合と較べて、三木おろしの気運は党内に広く及んでいます。圧倒的多数……です」
「確かに今度は条件はいい」
福田も相づちを打った。園田はいよいよ言葉に力をこめた。
「それに……今が好機、と私がいうのは、田中派が三木おろしに燃えているからです。だいたい田中派は先の場合も三木おろしには乗ったものの、今日ほど血道はあげませんでした」
福田にも園田のいうところが理解できた。先の三木おろしの時、椎名に口説かれた田中角栄はそれに応じたものの、さほど熱心ではなかった。ある時点にくると田中は早くも
ー三木おろしは難しい。
と読んだ。熱中している二階堂進や金丸信国土庁長官に
「もう いい加減にやめた方がいい。とても無理だよ」と注意を与えて こういったものである。
「三木君は一筋縄ではいかんよ。福田君、大平君では手に余るな。

だいたい三木はずっと反主流で いわば垣根の外に置かれていた。だが垣根の中にいるおれたち主流派の様子を 垣根の隙間からじっと見続けてきた。それで こういう場合にもこう対処する、こんな時にはこういう手を打つと逐一勉強してきている。だから反主流が一寸やそっとのことを仕掛けても それをこなす術を心得ておるんだ。へこたれもせんし巧く処置する。福田君や大平君では無理なことだ。
それにな、仮に三木おろしができたところで……その後 わが派から総理総裁を出せるわけでもない。一所懸命にやったところで あまり意味がないよ。それに福田君の政権でもできたら馬鹿らしい」
それで田中派は適当なところで三木おろし作戦から撤収してしまった。これも三木おろしを尻切れトンボに終わらせた大きな原因になっていた。
しかし今日の田中派が先の場合と違っていることは確かであった。
ー田中自らも三木に大きな憤怒を抱いているだろう。
ーその派も三木への怨念に燃えている。
と福田にも容易に想像がつく。
園田は熱と力をこめた語調で話し続けた。
「これまでの田中派は、わが福田派が金脈政変に火をつけて田中内閣を倒したと遺恨をもっていました。

だから福田には政権を渡したくないという思いが強かった。それで先の三木おろしも途中下車してしまった。田中派の大勢は、三木の後は大平政権ということでした……」
福田は黙ってうなずいた。田中とその派が福田派に敵意を抱き続けてきたことは 福田も身をもって承知している。
ー田中派が大平を推す以上、ポスト三木は大平が有力。
ー福田自身もその派も 田中とその派と握手しない限り福田政権の実現は難しい。
それで福田は自派の坊秀男、倉石忠雄たちを田中派の金丸信に接近させていた。福田自ら何度か田中との接近を試みてきた。50年の秋、アメリカのキッシンジャー国務長官が来日した時
「ミスター田中にこれを渡してもらいたい」と手紙を残していった。それを手渡すのを口実にして、福田は田中と二人だけの懇談の機会をもとうとした。それで電話をして
「キッシンジャーの手紙を渡したい。しばらくぶりで飯でも食わんかね」と誘いをかけた。だが田中は無愛想に
「飯はいいよ。手紙だけ持たしてよこしてくれ」と答えたきりだった。
この51年になって 先の三木おろしの最中、大野伴睦の追悼会が開かれた時、その会場の入口で福田は田中と握手した。

この写真が翌日の新聞に掲載されて
「角福提携成る」と報じられた。福田派でもそう放送した。田中は
「冗談ではないぞ」と機嫌が悪かった。
田中の心底はあくまで
ーポスト三木は福田でなく大平。
ということだった。
「しかし今日では……」と園田は福田の眼のうちを覗き込むようにこういった。
「田中派は ただ三木さえおろせばよいと、それに燃え盛っています。跡目は福田でもよい、後のことは問わないで、とにかく三木を辞めさせようという気運です」
「そうかね」
福田はまんざらではなかった。園田は言葉を継いだ。
「そうです。だから今がチャンスです。これがです、二か月、三か月と先にずれれば 田中派の熱も醒めてきて『三木をおろした後はやはり大平がいい』と元に戻ってしまいます。そうなれば大平が強くなって福田後継実現は難しくなる。今をおいて福田総理総裁の機はありましぇん……」
それは福田を十分に首肯させるものがあった。加えて福田自身にも
ー来年になれば自分ももう72歳……。総理総裁としては高齢に過ぎるといわれる年齢になる。
ー急がなければならない。
そういう焦慮に常に追われ続けてきている。

だからこそ三木政権が長期化しそうな様相を見ると、何か耐え難いものに駆られるのだった。
ー急ごう。
福田は三木おろしに決起することを決心した。

明けた6日の福田派総会で、三木退陣という言葉こそ用いなかったが、福田は珍しく熱弁を振るった。
「臨時国会に先立って出直し改革を図らねばならない……」
この出直し改革という言葉は、先の三木おろしの時に掲げたスローガンであった。
その夜、福田は大平の私邸に電話をかけた。大平は福田の演説を承知していて
「福田さん、よかったですな、あのスピーチ。同感です」といった。福田は
「一緒にやろうじゃないか」と大平に提携を申し入れた。
そこでは細かいことには触れなかったとしても、三木おろしについての大福提携が固まる形になった。
大平が正式に福田に呼応する談話を発表したのは 翌8月7日、選挙区の香川県琴平町での記者会見であった。
「野党に政権担当の能力がなければ、自民党としては自らの手で再生を模索するより他に道はない。課題は極めて厳しいし、時間の余裕がない。
財特法案、国鉄運賃、電報電話料金の値上げ法案などのタイムリミットは とうに過ぎている。

財政危機の足踏み状態は既に進行中で、放っておけば手がつけられない状態になるかも知れない。それを心配している。
この懸案は放置しておけない国務であることを前提に、政局の処置をしなければならない。総裁はじめ党員が一本になって 虚心に、派閥次元を越えて党改革に取り組む決意が必要だ。
粛党の実をあげるには、党内の同憂の士と話し合っていくことに努めなければならない。福田氏が真剣、大胆に出直し改革をいわれたことは十分に理解できる。福田氏との話し合いは大事なことだ。
自民党の自己改革、粛党をやる場合、総裁を除外してやるのか、総裁を含めてやるのか 二つの方法がある。これは問題を解決する時に考えていけばいい」
この大平談話を承けた形で、福田はその7日、にこやかな表情で記者たちに語った。
「大平蔵相の思い詰めている気持ちはよくわかる。財特法、国鉄、電々値上げ法案を処理して景気を回復、経済を安定させるためには、政治が安定しなくてはならない。一刻も早く安定させるため、強力な政治を行う必要がある。蔵相とも常々意見を交換している。意見も認識も一致している。

ロッキード事件の推移をみて、臨時国会前に政局転換を行うべきかどうかを含め、政局収拾の問題を話し合うことになっている」
こうした大福の談話は、表現は抽象的で まだ弱かったとしても、現実にはこの大福提携によって三木おろしは一気呵成に明確な形をなし、急スピードで発進を始めることになった。新聞は
「大平蔵相、鮮明に福田氏との提携を打ち出す」
「臨時国会前の三木退陣への布石」
といったセンセーショナルな見出しで報道した。
この大福の提携について、先に三木おろしの先頭に立った椎名副総裁は、当然 記者たちから感想を求められた。この老人はこのように毒舌を吐いた。
「臨時国会前の人心一新は やろうと思えばやれるさ。今のような状態のままで三木首相が政権を握り続けることは 許されるべきではない。臨時国会の召集を延ばしてでも政権交替を図るべきだな。そこらの戦略的なことは福田、大平両君で話し合えばいい。二人が話すのは結構なことじゃないか」
三木をおろすという考え方は、椎名はいささかも変えてはいなかった。だから大福とは違って あからさまに三木政権反対、政権交替を口にしたのである。

だが この時の椎名の語調の中には
ー大福二人で三木おろしをやったらいいだろう。わしはもうノータッチだ。
という冷ややかなものが漂っていた。
それは一つには、田中が逮捕されて椎名は情熱を失ってしまったのである。椎名は岸信介派の時から福田嫌いであったし、また大平も好きではなかった。田中を最も気に入っていた。
その田中が消えてしまった以上、椎名の三木おろしの関心も半ばは失せたのだ。それに
ーおれが折角 音頭をとった時の三木おろし……結局は福田、大平がだらしなくて三木にいなされてしまった。
そうした不満があった。
ー角抜きの大福で三木をおろせるものか……。まあ やってみるがいい。
そんな投げた感情も、この老人の胸の中にはあったのだ。

反主流派は連合勢力を結集して、三木おろしを実現に運ぶために
ー両院議員総会の開会へ。
その途を ひたすら驀進しつつあった。この発想と作戦は、有志議員懇談会の世話人 三原朝雄と、福田派の代貸 園田直との合作であった。 三原も園田も議院運営、国会対策のベテランであるだけに、この種のことの運びは卓越している。

自民党の党則によれば「両院議員総会は、三分の二以上の署名をもって、両院議員総会長に開会の要求ができる」ことになっている。
その数字を目処に三原、園田の音頭で賛成の署名が着々と集められていった。
議員総会を開会する目的は
ーその席で三木総裁の不信任ないし解任を決議すること。
それであった。両院議員総会は自民党の党則によれば、最高の意思決定機関である党大会に次ぐもので
「党運営、国会活動に関する重要事項を審議、決定する」となっている。また緊急を要する場合においては
「議員総会の議決を以て、党大会の議決に代え得る」と規定されている。
そこで三原も園田も
ー党大会に代わる議員総会の招集。
を企図したのである。その事実上の党大会で、三木総裁の不信任ないしは解任を決議することが狙いであった。ただし党大会に代わる議員総会の場合は「両院議員の三分の二以上の出席が必要」であった。
といっても三分の二の署名を集めれば、論理的には三分の二の出席を確保できるわけだ。今、自民党は衆議院265名、参議院126名、合わせて391名を擁している。261人が三分の二である。

園田は署名運動を展開しつつ、福田派担当の記者たちに
「三分の二の署名を集めることは難しいことじゃあない。単に時間の問題だよ」
と うそぶいた。
確かに衆参両院を合わせれば 福田派は74名、大平派は61名、田中派は87名で 三派の合計は222名になる。
これに中間派の水田派10名、船田派11名、椎名派16名を加えると それで259名に上る。さらに旧石井派、無派閥を集めると、これら反主流派の総員は ゆうに三分の二の261人に達する勘定である。
しかも今、これら反主流派のほとんどが、三木おろしに向かって気勢をあげ 足なみをそろえ前進している最中である。園田のいうように議員総会開会要求の署名獲得は難しいものではない。
それだけではなく議員総会を開きさえすれば 三木総裁の不信任、解任は議決されるであろうことも間違いなかった。
党則では党大会に代わる議員総会は
「議決の成立には過半数以上の賛成を必要とする」とあったが、それはもう問題ではない。